秋の夜長くらい、ゆったり過ごしたいですね
今年の9月は、異様な酷暑の連続でした。この異常気象は、世界各地を襲っていますから、いよいよ気候変動は深刻と言わなければならないようです。ただでさえ、私の冴えないオツムの回転は、まるでダメ男状態でしたが、10月に入ると、さすがに夕方にもなれば涼しい空気を感じるようになり、ほっとします。
日増しに夕刻が早まり、日没が急に進んで暗くなる感じを、「秋の日はつるべ落とし」と言いますね。でも、鶴瓶さんではありません、「つるべ」という表現を実感もってできる人は、今ではそんなにいないかもしれません。かくいう私は、その希少種の1人のようで、幼い頃、戦後間もない時期なのですが、小学校1年生の終わるまで、東京は代々木の町に住んでいた小さな家には、隣家との間に、おそらく共有だったのだと思いますが、井戸がありました。もちろん水道は別にあったのですが、夏でもひんやりした空気が上がってくる井戸は面白く、スイカが早く冷えないかと待ち望んだものです。その井戸水を汲み上げるには、井戸の上の滑車に通した綱に桶をつけておいて、それを水面下におろして汲んだものでした。その桶が「つるべ」ですが、今ではこんな方式の井戸は、時代劇のセットでもない限り、どこにもないかもしれません。
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それにしても、仲秋の名月がなんとも暑い夜に輝いているというのは、これまでには経験のない妙な感じでした。彼岸に「おはぎ」や「ぼたもち」どころではなくて、今秋の入りは、かき氷が欲しいみたいな奇妙なものでした。おまけに、雨が降らない干ばつのところと、線状降水帯とかで豪雨が降り続く水害の深刻なところとが、パッチワークのように全国を覆うさまは、食糧の安全保障のうえでも大問題になってきそうだ、などと思っていたら、9月末のニュースでは、今夏は酷暑で小雨だったせいもあってか特産地長野でも、別のところでも、松茸はもちろん天然のキノコ類がほとんど、あるいはわずかしか、生えていないところが多い、とありました。あれまあ、ですね。普段の年でも松茸はあっても高価ですから、あまり私もご縁はありませんし、最近では、松茸のように森林の中で自生するものを採る以外ないキノコよりも、菌床で栽培されるキノコのほうが一般的食材になっています。シイタケ、シメジ、マイタケ、エノキ、エリンギなど、ほぼ季節を問わず手に入るのはありがたいことです。シイタケは、ホダ木に菌を植え付けて半自然的な環境で育てる方式も、廃れることなく健在なようで、嬉しいことです。もう40年近くも以前のことですが、まだ我が子らが小さかった頃、自家用車での何泊かの家族旅行の帰路、小海線沿線の国道沿いで、たまたまシイタケのホダ木を売っているのに行き当たって、珍しいから挑戦してみようと一本買って帰ったことがありました。その年の夏から初秋には、庭に置いたホダ木から立派なシイタケがニョキニョキと出て採れましたし、翌年までは菌が残っていたのでしょう、まだ収穫できたことを覚えています。しかし残念ながら、東京では新たに植え付ける菌は手に入りませんでしたので、このとき限りの貴重な経験でした。
人工的に育てられるキノコは、ヨーロッパでも、当然ですが季節を問わずにあります。日本でも、英語のマッシュルームと言われて売られているキノコ、フランスではシャンピニョン・ド・パリと呼ばれるキノコがそれです。多くは日本同様に真っ白い丸いカサをしていますが、中には茶色のものもあります。なんで「パリ」とついているのかというと、パリの近郊、19世紀半ば以降は市域が拡大して市内になりましたが、北東地区にある石切場のあとなどを利用したキノコ栽培が、年間を通して盛んになされて、重宝されたからでしょう。その起源がいつ頃からなのかは、実は私も知りません。
晩夏から秋にかけて、ヨーロッパで森の中に自然に出てくるキノコで有名なのが、日本でも食通の間ではよく知られるようになっているイタリア産のポルチーニです。大きなカサ(笠)を持った姿を、そのまま焼いて肉などの付け合わせに出てくることもありますし、小さく切ってパスタなどに入れることもあります。これは、フランスでセップないしセープと言われる大きなカサのキノコと、同じもののようです。フランスではボルドー産のものが「セープ・ド・ボルドー」と言って、食通の間では有名です。私は、レストランなどで遭遇できれば嬉しいだけで、食通のようにシーズンになるとわざわざボルドーまで食べにいく、というわけではありませんでした。フランス滞在中に料理に使っていたキノコは、普通にシャンピニョンで、これは安くて美味しい。ボルドーには何回か行っているのですが、春や夏だけですので、セープにはシーズン外れでした。
ボルドーといえば、思い浮かぶのはやはりワインの方ですね。キノコとはフランス語の綴が違うだけで発音は同じセープは、ブドウの株の意味で、セパージュというのがブドウの株の品種のことです。今ではワイン通の日本人も多くおられるようですから、赤ワインだとカベルネとかピノが有名だとか、白ならソーヴィニョンやシャルドネだとか、結構セパージュにこだわる方も増えたようです。フランス農業史の専門家であるラシヴェ先生の編纂した事典によると、かつてフランスには、なんと数千に及ぶセパージュがあったそうですが、次第に淘汰が進んで、それでも、限定的な地域的品種を入れると数百もあるのだそうで、びっくりです。以前にニューヨークを尋ねた際に、友達に誘われて行った生演奏付きのバーでは、「何を飲みますか?」と可愛いお嬢さんから注文を尋ねられたので、「じゃあグラスで白ワインを頂戴」と言ったら、しきりに「シャルドネね」と繰り返し念を押されたのには、別の意味でびっくり。どうやら彼女は、白ワインは全てシャルドネというものと思っていたのでしょうか。
キノコのセープに話を戻しましょう。これは調べてみると、植物分類上はイグチ科に属するキノコだそうで、日本では「ヤマドリダケ」という名称のキノコにあたる、とでてきます。そう言われても、専門畑の違う素人にはチンプンカンプン。イグチ科ってなんだ、というわけで、さらにしつこく調べると、アミタケなど大きなカサ(笠)をもつ70ほどの種類のキノコ類の総称だそうで、イグチ科は「猪口科」と書くのです。さて、そうは言われても、猪口さんが最初に分類命名したものか、これは、さらにもっと専門的な本でも調べないと分かりません。朝のテレビ連ドラで、今年春から9月いっぱいオンエアしていた牧野富太郎博士がモデルの植物学者一代記でも、分類命名の先陣争いが盛んに出てきましたが、これは、はまると確かに大変な世界でしょうね。
ヤマドリダケという名称も、山のブナやケヤキの林で採れるからかと思ったら、そうではなく「山鳥茸」と記されるので、どうやら鳥類の山鳥との連想から来たもののようです。大きなカサ(笠)との連想か、色合いとの連想でしょうか。直径15から20センチにもなるカサを「饅頭笠」と呼ぶというのも、なんだか楽しいような嬉しいような。
そしてもう一つ、秋に忘れてならないキノコの仲間で高級食材なのが、コナラなどの林の中で地下に潜むように生えているトリュフでしょう。これもボルドーのほぼ西隣に位置するペリゴール地方が特産地として有名です。晩秋から初冬に、鼻のきく豚や犬に探させることで知られていますが、人工的に生産するのは無理なようですから、美味というより珍味の地位は、揺るがないのでしょう。「西洋松露」という訳語も当てられるようですが、日本の松露(しょうろ)は、浜の防風林など本当に松林の地下にできるキノコの仲間だそうで、春秋に収穫して、独特の香りを日本料理のお吸い物などに入れて楽しむことで知られています。手軽には、松露饅頭という和菓子が、もちろん味ではないのですが、姿形を教えてくれます。そういえば久しく食べていないですね、いや松露ではなくて松露饅頭も。
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秋になれば、当然ながら果実類も夏とは違った賑やかさに。今年の日本は夏が日照りで暑すぎて、梨などは被害甚大だったようですが、栗もダメかと思ったら、幸い栗は大丈夫だった地域が多いようです。栗、フランス語でのマロンです。どこだって、栗は火にくべればハゼますので、「火中の栗を拾う」という日本語の表現とまったく同様な言い回しは、フランス語にもあります。危険を覚悟で、他者のために、あるいは社会のために行動する、というような意味で使う表現ですね。すでに17世紀の詩人ラフォンテーヌによっても、その表現が採りあげられているとか。
フランスでは、中央山地が栗の特産地として知られていますが、パリなど大都市でも街角や市場の出入り口などで、「マロン・ショー(熱い栗はいかが)」と焼き栗を呼売りする光景は、秋から初冬の風物詩とでもいえましょうか。マロニエの街路樹の下でおじさんが大声で「マロン・ショー」と焼き栗の呼売りをしている光景は、リュクサンブール公園の入り口などでの年中行事みたいなものです。マロニエも、栗とよく似た実をつけて、晩秋から初冬にかけて、時にそれが落ちて来ます。私は宝くじにもマロニエにも当たったことはないのですが、当たれば相当痛いはずですね、栃の実なのですから。マロニエの実が入っている殻には棘がないのが、幸いでしょう。殻もまた、時期が来れば降って来ますから。

マロニエの実
フランスでの生活体験の中で感じたことですが、街路樹にせよ庭木にせよ、なぜか実のなる木々が実によく実をつけているなあ、ということです。例えば胡桃(クルミ)です。パリ郊外に住む私の友人の家の庭には、胡桃の木やスモモの木が大きく育っているのですが、これらの木々が、見事な実をつけるのには感心するほかありません。特に肥料をやっているわけでもないのに、です。それらを取るのに協力するのは、植木いじりが好きな私には、嬉しいことでした。やはり郊外に住んでいた別の友人のところでも、ノワゼットの木、日本でいうハシバミの木の仲間だと思いますが、これが秋口だったでしょうか、実に見事に多くの実を付けてくれていて、叩けば簡単に落ちるからやってごらんと言われて、すっかりハマったのでした。ヨーロッパのものは西洋ハシバミといって、要するにヘーゼルナッツの木だということを後で知って、なるほどと思ったことでした。
季節は違いますが、春には街路樹の桜なども、結構サクランボの実を付けているのを目にします。我が家では、庭に植えたヤマモモが、オスの木とメスの木をしっかり植えたもので、毎年7月にもなると、真っ赤な実をメスの木が仰山つけますが、これは採るのが大変ですし、実の大きさの割にタネがでかいので、結局いつも出入りの植木屋さんに剪定してもらい、ついでに実も収穫して持って行ってもらうことにしています。いずれにしても、日本の秋には、ブドウの最後の種類、それにイチジク、柿はもちろん、リンゴやミカンなども出始めますし、果物類を育ててくれている生産者の皆さんには感謝するほかありません。
果物の種類を目にして、秋の深まりを感じ取るのも嬉しいものです。しかし、木々の紅葉は、時期が随分遅くにずれ込むことが多くなりました。現在の陽暦でも10月半ばを過ぎれば「晩秋」と言われる時節に入る、と、少し前までは言われていたものですが、東京近辺でも木々の紅葉の進む時期は、随分後ろにずれ込んでいるのが昨今です。昭和の年代が半ばを過ぎて、私らの世代が高校生や大学生であった頃には、11月2週目の頃からはイチョウの葉が一斉に黄色くなり始め、11月中には黄色い枯葉で一面が覆われる、というのが通常でしたが、今では下手すると黄色く色づくのが年末、ということも少なくないのでは。今年はどうなりますことやら。
それでも、例えば日の差し込み方は、8月までと9月、10月とでは、まるで違ってきて、季節の移ろいを感じさせてくれます。正岡子規門下の俳人として有名な高浜虚子の句に、「秋の日を 幹重なりて さえぎりぬ」という一句があります。秋が好きな私の好きな句の一つです。夏の太陽は高くから差し込んでいましたが、秋に入ると差し込み方が下がってくる、その日差しを、植え込みの木々が遮る形となって季節の移ろいを感じさせる、という一句なのだと思います。自然と対話する、そういうゆったりとした感性を、失いたくないものだと思う日々です。

2023.10

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏
学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長
1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。