食のエッセイ

梅雨時に想う夏のこと

 以前の回でもふれましたが、折々の暦にかかわる表現は、四季がはっきりしている日本ではことのほか豊かな気がします。いずれも旧暦に準拠していたものが新暦にあてはめられていますから、ズレを感じることもないではない。暦のうえでは、5月初めの立夏をもって夏に入り、初夏という季節になります。とはいえ、今年がそうであったように、猛暑日がいきなり来て「かき氷が欲しい」という気分になったりする他方では、まだ春先という感じの肌寒い日が何日も続いたり、木々の緑は確実に濃くなりますが、時候は落ち着きません。

 気候変動の影響か、暑さ寒さも、雨が降る、降らないも、どうにも極端なことが世界各地で日常になって来たようで、困ったものです。5月のイタリア中北部での前代未聞の大雨と大洪水、南西フランスやスペインで旱魃がひどいかと思えば、今度は大雨とか、夏に地中海沿岸部で、高温と乾燥とが原因の山火事が年中行事みたいになっているかと思えば、日本でいう鉄砲水のような水害が生じたり。アフリカの旱魃や南アジアでの大水害、アメリカでの巨大ハリケーンや山火事、竜巻の頻発など、もはやオズの魔法使いのような物語どころではないニュースが各地から入ってくるさまは、問題がいよいよ地球規模になっている困った現状を示しているようです。

 それでも、東京の郊外にある我が家の庭には、蚊や小さな蛾などを食べてくれるヤモリが、今年も姿を見せてくれました。どこから入るのか、ヤモリは時に家の中にまでやって来ますので、そういう時はそっと近づいて、手のひらの中に包み込むように入れてあげて、外に出してやります。うっかり気づかず潰してしまったりしたら、お互い不幸ですからね。子どもヤモリは可愛いものですが、柄の大きい大人?となると、捕まえるのにも一苦労。逃げられっぱなしのこともあります。しかし、その後ついぞ室内では姿を見せませんから、どこからか外へと脱出するのでしょう、出入りはまさに神出鬼没。カナヘビやトカゲも、以前には庭で普通に見かけたものでしたが、いなくなって半世紀も経つでしょうか。ヤモリが毎年出て来てくれることは、今年も夏へと向かう時候になったことを自然が実感させてくれる、ほっこりする年中行事なのです、私には。

 それにしても、身の回りで、在来種の動植物が種類を減らして、時にはとんでもない外来種が混ざるだけでなく、はびこってしまうことも生じかねないのは、なんだかね、と複雑な心境になります。例えばアライグマも、見たところ可愛いということで愛玩用に輸入されて、それがもとで野生化して増えてしまって問題になる、などというのは、悪いのはアライグマたちではなくて、無責任に飼った上でもて余して放した人たちですね。世界各地のつながりが密になることは、多様な社会が理解し合う上でとても大切な前提ですが、地球スケールでの発想と土地土地での多様なあり方との双方をいつも頭に置かないと、場所の環境を保全するのにも、とんでもないことが生じかねない時代になっているようです。

 私が子供の頃、つまりは高度成長以前には、井の頭公園の池から流れ出る神田川の、まだ整備されていなかった水辺で、アメリカザリガニを釣るのが、水遊びの一つでした。東京周辺の水辺では、あちこちで普通に子供の遊びだったように思います。全国的にそうだったのかもしれません。しかし生命力の強い外来種であるアメリカザリガニは、どうやら水辺の在来種の動植物保護という観点からは、いまでは困った存在になってしまったので、その駆除が本格的に開始された、ということが最近報道されていました。カミツキガメや巨大な蛇などの爬虫類とか、輸出入を禁じているワシントン条約の対象でない動植物でも、個人の趣味や儲け本位での外来種の輸入は全てやめるべきだ、というのが私見です。動植物だって命ある存在ですから、もともと生きていた環境から強制的に引き剥がしてしまう権利は、人間にはない、と考えた方が良いでしょう。しっかり管理、飼育されている動物園の生き物たちですら、よくよく考えてみるべきでしょう。かつて高村光太郎の詩で読んだ記憶がありますが、あるべき場にいない動物園の彼らを目にするのは、辛いことだってあります。

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 ヤモリちゃんから話が堅くなりすぎました。我が家にヤモリが姿を見せ始めてくれる時期は、「麦秋」と言われる時節になります。北関東などに出かけると、冬撒きの小麦が黄金色になって穂を垂れている様子が、見事に見られます。以前に、学生たちと一緒に富岡製糸場へ見学に出向いた際、5月末の田園地帯を走るバスの窓から見える麦秋の景色が、それは見事なものでした。ところが学生たちは、小麦の収穫期を示す麦秋の表現を、ほとんど理解していませんでした。最近は若い世代にも俳句や短歌がブームなのだそうですから、それも変化しつつあるかもしれません。ところが私自身、つい最近になるまで、季語でもあるこの「麦秋」は、「ばくしゅう」ではなく「むぎあき」と読むのが本来であって、そのさいの「あき」とは季節の意であるよりも、まず収穫を祝う意味の「田の神祭」のことで、時節を示す意味は二次的なものだということを、山本健吉さんの文章で知りました。いやいや我ながら、知らないことはまだまだ少なくないものです。

 さて、ヤモリが知らせてくれる「初夏」の到来は、何か爽やかな語感がありますが、これが入梅間近となると、なんだか鬱陶しい「梅雨」が始まる、という感じになりますから、物は言いよう、語感は五感同様に大事です。「五月雨をあつめて早し最上川」というのは、有名な芭蕉の句ですが、現在の6月、梅雨時のシトシト降る雨の「さみだれ」は漢字だと「五月雨」。これも旧暦と新暦のズレからくるものですが、これを「さつきあめ」と読めば優雅な感じもしますから、少し救われようかとも感じます。しかし最近の梅雨時の豪雨は、シトシトどころか、本当に気候変動が大問題であることを、何回も警告してくれているようです。もちろん田植えのためにも、稲が育つためにも、適度な雨こそが必要です。里山と小規模な水田とが織りなす伝統的な風景こそが、最もエコロジカルな日本の農村の原風景とでも言えるものだと思うのですが。

 高度成長以前は、空調などというものとはまだ無縁で、団扇や蚊帳が活躍する時代でした。ジメジメした梅雨の時節が私はまるでダメで、子供の頃から学校の成績は1学期後半の試験が不出来なことが多く、秋になると急に成績が良くなって褒められる、という繰り返しでした。なんのことはない、蒸し暑いのがダメで集中力欠落、頭も回転せず成績もダメ。それが秋になると乾燥した涼しい季節が始まって好転し、冬になる頃が引き締まってさらに良くなる、というだけのこと。まあ入試が冬にあって幸いだった、というべきかもしれません。ところが、人さまざま。私の一世代下の中国史の研究者であるH・I君は、小さい頃東南アジアで育ったせいもあるのか、寒く乾燥しているのがダメで、蒸し暑い6月にもなると元気一杯、「僕の季節が始まりました」と嬉しそう。大学に出るだけで汗びっしょりの私に、あてつけたものです。どっちが良いわけでもない、人さまざま。金子みすず風に言えば、みんな違って良いのです。彼女の詩はとても素朴な情感が心に響くのですが、「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」というとり合わせが、不思議と可愛らしくて、邪心のない子供の絵のような感じがします。

 それにしても、梅雨の6月がなぜ「水無月(みなづき)」なのかと、小さい頃には不思議でしたが、これも新旧の暦のズレからくるわけで、旧暦の水無月は現行の新暦だと7月にかかり、梅雨明けに向けて暑くなる時期なのです。

 梅雨が明ける頃にもなれば、なんといっても土用の鰻でしょうが、鰻も稚魚の取りすぎが原因という説もあり、最近では、養殖ものですら不足という不測の事態が生じているようで、何事も過ぎたるは及ばざるが如し、肝に銘じるべし、でしょうか。いや鰻の肝吸いや肝焼きは、また絶品なのですが。

 私自身、伝統的な暦については知らなかったことも多く、最近改めてそれを痛感しています。土用というのも、春夏秋冬それぞれの季節にあり、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前18日間をいっていたのだそうで。それが新暦となって久しい今では、夏の土用についてのみ表現が存続している、というのも、土用の入りの日に鰻がつきものになったからかもしれません。「土用波」という言い方もあり、この時期になると海水浴の最盛期とはいえ、南方での台風発生に伴って波が高くたつ日も少なくないので気をつけなさいと、子供の頃からよく言われていました。今でも、この表現は現役でしょう。

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 さて、6月から7月にかけての時節は、フランスなど西ヨーロッパの場合は、初夏から夏に向かう、比較的天候が安定して過ごしやすい時節であったはずですが、最近ではなかなか安定しなくなっているようです。20世紀後半からは長期のヴァカンスを取ることが、働く者の権利として一般化しましたので、6月ともなれば、今年はどうするか気もそぞろ、といったところでしょうか。日本のような歳時記にあたるものはなかったとしても、やはり農業を中心としていた歴史的な過去には、日本とも共通するような捉え方はありました。特に、6月24日は聖ヨハネの日で、一年の暦の一つの節目として、重要な位置を占めていたものです。カトリックの世界では、一年を通して毎日それぞれに、キリスト教の故事や聖人に関わる意味が与えられていました。クリスマスや復活祭は、その極めつきで、すでにこれまでの回で、話に出てきた通りです。

 6月24日の聖ヨハネは、イエスに洗礼を施したと伝わるバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)のことですが、時期がちょうど冬麦の収穫期に当たることは日本の「むぎあき」と同様です。そこで一種の豊穣儀礼や祭礼、ことわざの伝承などが、かの地の民俗学者たちによって記録されています。特に、この日には村落ごとに住民総出で、大きな焚き火の用意をし、その真ん中に豊穣の印である「五月の木」を押したて、男女がロンドなどを踊り、教会の司祭による儀式ののちに火を放ち、巨大な炎を焚き上げる火祭りが、各地で行われたものでした。燃えさしは、雷除けの御守りとして各自が家に持ち帰り、また熾火(おきび)になった後、恋仲の若い男女が手を取り合ってそれを飛び越すと、恋が成就するという儀礼なども記録されています。司祭が関わる点で、カトリック的な意味は付与されるのですが、中身はむしろ民俗的祭礼とでも言えましょうか。日本でも、季節によって火祭りの類が実施され、祭りによっては火渡りの儀式で無病息災が祈願されるのと、似たようなものと思って良いでしょう。

 収穫に関わる言い回しも、記録されています。前回も登場願ったドゥルノンさんの辞典から、いくつかを眺めてみましょう。「聖ヨハネの日より前の雨は好運をもたらすが、それより後の雨は不幸をもたらす」というのは、おそらく小麦の収穫が7月前半の地域のことでしょうか。似たような表現で、「聖ヨハネの日が雨だと、ワインもハズレ、パンもダメ」というのは、好天であるべき時期が雨ばかりだと、収穫が悪くなるということでしょう。「聖ヨハネの日の前から、収穫を自慢したりしてはならぬ」というのは、ヌカ喜びなどせずに慎重に収穫準備をするように、という戒めでしょうし、「涼しい6月と暑い7月は、小麦はダメだがワインの出来は良い」というのは、随分ストレートな言い方ですね。小麦と並んでワインの話題が多いのも、いかにも古き良きフランス、というか。「6月の好天は豊かな小麦をもたらしてくれる」とか、「花の咲き誇る6月は、天国のような運をもたらす」、逆に「寒くて雨ばかりの6月は、一年中を不満だらけにする」のでした。

 こうした夏を迎える6、7月にかかわる祭礼や伝承は、この連載の第8回に登場願ったメノンとルコテの共著でも丁寧に報告されていて、フランスでは第2次大戦後の戦後復興から高度成長期が始まる60年代に入る手前までは、中小規模の生産単位が重要であったかなりの農村地域で、まだ生き生きしていたようです。現在ではすでに姿を消してしまったのは、残念といえば残念です。ただ、これはフランスではなく、スペインのカタルーニャ、その中心地バルセロナでオリンピックが開かれた1992年のことですが、その一種のプレイベントが6月に開かれたというニュース報道で、「聖ヨハネ祭の火祭り」が行われたという写真が掲載されていて、あれまあ忘れられてはいなかったのか、と嬉しく思ったものでした。残念ながら、その時の報道を見た新聞が日本の新聞だったのか、それともフランスの『ルモンド』紙か何かであったのか、切り抜きをきちんととっておかなかったので、今ではあやふやです。有森裕子さんが女子マラソンで銀、そしてまだ中学生であった岩崎恭子さんが女子200メートル平泳ぎで金と、大活躍をして注目を浴びた、あのオリンピックの時です。地元でも、どこまで聖ヨハネ祭について理解されていたのかは、報道ではよくはわかりませんでしたが。

 オリンピックも、開催地の社会にしっかり受け入れられていればよろしいのですが、なんとも金儲け優先主義みたいな有象無象が跋扈するようでは、選手たちが可哀想というものでしょう。いや梅雨時がさらに鬱陶しくなってしまいます。最後に、夏の青空と白い雲を思い浮かべましょう。

2023.06

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。