食のエッセイ

初めての南フランス(1) おいしい白ワインに出会う

 ヴァカンスの時期のパリを出た夜行列車は南に下り、フランス第2の都市リヨンのさらに南、ヴァランスというドローム県の県庁所在地を抜けると、じきに東へと向きを変え、まもなく、クレという駅に着いた。綴りはクレスト(Crest)と書いて、読みはクレ。後ろのstは発音しない。時にややこしいですね、フランス語の固有名詞の読みは。この辺りから南の地域が、南仏といわれる。古くは言葉もオック語系統で、首都パリなどの北とは異なっていた。

 高速列車TGVの走る今なら、ヴァランスまでは2時間もあれば着くはず。しかし、まだTGVもなかった1970年代半ばには、もっとゆったり。ヴァランスの南からドローム川流域を東へ抜けるパリ発の夜行列車は、大回りしてまた北上し、かつて冬のオリンピックが開かれたグルノーブルまで走っていたと思う、記憶では。

 僕は、高速列車よりも、のんびりと風景を観察できる在来線の鈍行の方が、好みにあっている。この時は、夜行列車だから眺めも何もあったものではないが、夜明けの地方都市クレの駅は、夏でもひんやりしていた。前年秋からパリに留学して1年弱、フランス政府の給費留学生だから文句は言えないが、およそ金回りが良いわけはなく、本格的に南へと旅するのもこれが初めてだった。歴史家の卵だから、日頃は文書館などで、慣れない手書きの文書などと悪戦苦闘。特にフランス人の署名などは、ミミズが這ったようなものも多く、有名人以外はわからないことも多い。

 のんびり旅に出る余裕もあまりなかったが、異国の歴史を深く知ろうとすれば、その土地と社会のありようを、自らの身を以て知り、感じることは大切だ。もちろん過去と今とでは、状況がまるで違うことが前提とはいえ。

 早朝のクレの駅には、友達のエリザベートが迎えに来てくれた。いや、私の友人ではなく、同行した日本女性のパリでの勤め先の同僚の一人、私はまだ数回しか顔を合わせたことはなかった。私からみると、こうしたフランスの友人たちは、異国の人に対して何か余裕があって、たいへんオープンマインドだった。

 クレの町は、都市というより、日本人の感覚から言えば山間に農地が広がる中に町並みがある感じで、フランスの地方の町は、おしなべてどこも小さい。人口は20世紀末から今でも8千人台。しかし新石器時代の遺物も発掘されるくらい歴史は古く、リヨンとマルセイユとを結ぶ南北街道が、東から西へと流れるドローム川と交わる交通の要衝にあって、水を使う製紙業も17世紀には展開していたという。フランス王国に帰属したのは15世紀から16世紀にかけてのことで、17世紀には、王権によって古い城が破壊され、ドンジョン、つまりその主塔のみが残された。案内されてこの「クレの塔」の上まで登ると、小さな町は一望できた。

 エリザベートの実家は、この古い町での名士らしく、自宅の建物も斜面の中腹にあって小型シャトーのよう。ヴァカンス中に迎えてくれたのは、お姉さんのフロランスと中学生だったその娘。恐らくは日本人がここまでやってくることはまだ珍しいころだっただろう。日本からの団体旅行が、盛んになり始めた時代だったが、まだほとんどがパリとその周辺をバスで回るものだったようだ。日本人と接するのも初めてだったというフロランスたちは、とても自然に気を遣いながら対応してくれる、知的な雰囲気の人たちであった。会うなり、私の名前はフィレンツェのフランス風の読みと同じ、という自己紹介。そう、フィレンツェは、フランス語風にいうとフロランスなのです。

 期せずして女性たちのなかに、私は黒一点。幸か不幸か、男一人には小さい頃から馴染んでいた。私の上下が姉妹、母親は五人姉妹の真ん中で、親戚の子供にも女性がやたら多く、子供の頃から、親戚同士で遊ぶといつもほぼ黒一点だった。

 アウトドアの活動が好きなフランス人は少なくない。彼ら、彼女らは、一見華奢なように見えても、結構がっしりした体をしていることが多い。会ったり別れたりする際に、握手したりハグしたりすると、それをすごく感じた。フロランス曰く、せっかく自然豊かなドロームに来てくれたのだから、みんなでキャンプしよう。というわけで、翌日にはシトロエンの「ドゥ・シュヴォー」という愛称の小さな車に、フランス人三人と日本人二人、四人の女性軍と黒一点の私とで乗り込んで、テントを積んで出発。食料などは途中調達だという。

 どこに向かうかは、運転するフロランスにお任せ。途中、ランチと食料調達に寄った町が、ディー。郡庁所在地とは言え、クレからドローム川を東へ、少し上流に位置するディーは、人口はクレの半分ほどしかない、周辺での農業と羊の養育を主たる営みとする、周囲に山を眺める谷間に位置する明るい町だった。久しぶりに大都会から解放されて、ゆったりする。ここも、歴史の古い集住地。ガリア時代の女神を意味する言葉が、町名の由来ともいわれているそうだ。

 近辺の農地ではブドウ栽培も盛んで、発泡性の白ワイン「クレレット・ド・ディー」が実に美味しい。なんてラッキーな、これは、来てみなければ出会わなかった。クレレットというのは、白ワインの色が透き通っているからかと思ったら、ブドウの品種のことだという。クレレットとかクラレットとよばれ、15世紀末にはラングドック一帯で広く栽培されるようになっていたそうだ。パリではあまり手に入らない地酒や産物を楽しめるのも、地方を旅する楽しみの一つだろう。美味しいはずで、この「クレレット・ド・ディー」はシャンパーニュと同じ方式で製造されていて、AOCと略称される「原産地統制名称」、要するに間違いない方式によって特定地域で生産された優良品だ、というお墨付きの公式認定を、20世紀半ばからすでに受けている。ワインやチーズ、果物など、地域特有の優れた産物を大切にしてきたのが、フランスをはじめヨーロッパの農業の特質だろう。EUとなって久しいこの先も、しっかり続いて欲しいと願うばかり。

 こうしてディーで必要なものを整え、小さな車に頑張れと掛け声をかけ、山間部の緑地までかなり登った私たちは、キャンプ地点で二張りのテントをはり、草笛など鳴らしてあちこち散策のあと、夜は寝袋に潜り込んだ。あかりといえば月しかない、本当の山中であった。夜明けの後は、次の回でお話ししよう。

2021.11

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。