食のエッセイ

日本の「洋食」

 子供の頃、札幌のオーケストラでヴィオラを奏でていた母は、自分の好きな演目が演奏されるときにまだ幼い私達をコンサートに呼ぶことがあった。しかし母が好きな曲が私達子供にも気に入るとは限らない。三、四曲ある演目のうち面白いのは一曲だけで、あとは至極つまらなかったりするのを、勿論母も判っていて、そんなときは練習と本番の間に私達は会場近くにあった不二家レストランに連れていかれる。好きなものを食べさせてもらえる代わりに、コンサートをどんなにつまらなくても最後まで大人しく聞くという条件を課せられるわけだが、私達には不二家の美味しい洋食やデザートが食べられるのだったら、メシアンでもシベリウスでもショスタコービッチでもどんな難解な楽曲でも耐えてやる、という気構えがあった。

 あの頃、そんなきっかけで始まった私の洋食嗜好は、五十歳になった今も継続中である。今でもデパートなどで食事を取る時は洋食屋を優先順位で選び、ウィンドーの中のオレンジや黄色や緑の蝋細工に胸をときめかす。

 欧州の料理のはずなのに、紆余曲折あって独特の進化を遂げ、日本でしか食べられない不思議な料理「洋食」。幕末から明治初期に海外からの来訪者のために作られていたものがその後独自にアレンジされて、ポークカツレツ、オムレツ、カレーにハヤシライス、シチュー、フライにコロッケといったものに形を変えていく。更に戦後になると〝スパゲッティ・ナポリタン〟のような米国系洋食が日本の大衆食として蔓延するようになるのだが、日本という国がこれだけ多国籍な食文化に積極的に馴染むようになったのも、きっとこうした洋食の影響もあるのだろう。

 そしてこの日本の洋食に欠かせない調味料のひとつがケチャップである。

 ちなみに、わたしはスパゲッティなどのパスタ類があまり好きではない。早いうちからイタリアに暮らし始めてしまい、貧乏な時にはひたすら材料費が安くて済むパスタばかりを食べていた、そのトラウマもあるからなのかもしれないが、イタリアとこれだけ縁のある立場でいながら、実は基本的にスパゲッティに限らずイタリアンというジャンルにそれほど興味が無いのである。

 だけど、日本の洋食屋さんや喫茶店にあるケチャップ味のナポリタンだけは頗る大好物で、何気に入った店にナポリタンがあれば無意識にでも注文をしてしまう。あの、輪切りになった緑のピーマンと魚肉ソーセージ(またはハム)に加熱したケチャップが絡んだスパゲッティの有様は、蝋細工を見ているだけでもハッピーな心地になれるのだ。

 私達が子供の頃のナポリタンは一口食べれば必ず口の周りがべちゃべちゃのオレンジ色になり、服には漂白しきれなかったケチャップのシミが附着している子供も少なく無かった。でもナポリタンは給食にも出てくるし、お弁当の付け合わせとしてもハンバーグ等の脇に入っていたくらい、ミートソースと並んで帰化した日本において大いなる人気を得たスパゲッティだったと言って良い。

 本来は、イタリアで食されている代表的なアマトリチャーナ地方のスパゲッティが、十九世紀末から二十世紀初頭にイタリア人移民によってアメリカにもたらされ、それが戦後になってから日本に入ってきてナポリタンと命名されたらしいのだが、本来ケチャップという食材を使わないイタリア人にとって我々が認識しているナポリタンは、ナポリとは全く関係が無く、ましてやアマトリチャーナ・スパゲッティでもなければ、そもそもイタリア料理でこそないのである。

 イタリアでの留学初期に、私はこの日本式ナポリタンをアパートをシェアしていた学生たちに料理して振る舞ったことがある。全員食に保守的なイタリア人だったので、皆テーブルセッティングを手伝ってくれつつも、イタリアにやって来てまだ間もない東洋の小娘に一体何ができるのか、という猜疑心に満ちた眼差しを私に向けていた。そこで私がケチャップを取り出したのだから大騒ぎだ。彼らの不安はマックス状態になり「ストップ!パスタのソースにケチャップなんて使ったらダメだよ!バカはやめて!」慌てて私が手に握っているケチャップの瓶(イタリアでは瓶売り)を奪い取ろうとする。ケチャップが無ければナポリタンにはならないので、私も必死になって「いいから、物は試しで食べてみて!」と彼らを説き伏せ、やっとのことであの、日本の洋食の銘品を完成させることができたのだった。

 皿に盛られたオレンジ色のナポリタンを見つめながら、最初は皆絶望的な表情で黙り込んでいたが、私がさっさとそれを口に運び始めると、一人、そしてまた一人と強張らせた表情のまま食べ始め、そのうちの一人が「あら、思った程マズく無い」と一言。周りもそれに同調し始め、最終的には全員皿に盛られた分は全て平らげた。「でもまあ、これはイタリア料理ではないよね」という結論ではあったし、勿論その通りなわけだけど、私は彼らがケチャップの偏見を乗り越えてくれたのが嬉しかった。

 ただ一つ物足りなかったのは、日本製のパルメザンチーズが手元に無かったことである。あの紙の筒に入ったパルメザンチーズは本家本元のイタリアのパルミジャーノ・レッジャーノとは別モノなのだが、ナポリタンやミートソースにふりかけるのであれば、あのチーズ以外にはない。私は日本へ帰国すると、必ずあの紙筒のパルミジャーノを調達して持ち帰るようにしている。

 加熱ケチャップ味でイタリア人に受けた洋食といえば、他にオムライスがある。これはイタリア人の旦那が大好物で、シリアにいたときも、ポルトガルやアメリカに暮らしていた時も週に一度くらいの割合で作っていたかもしれない。おそらく自分の料理史上最も作った頻度が高いのもオムライスだと思う。オムライスは何せ中に入れるチキンライス自体が既に加熱ケチャップ味であり、さらにそれを卵で包んでそこにもケチャップを掛ける、ケチャップと運命を共にした一品だ。ちなみにわたしは先述のナポリタンにもオムライスにもタバスコを掛けるのが好きなのだが、夫はさすがにその一線は越えない。彼らはケチャップまで妥協を許せても、タバスコというボーダーを越える節操の無さは許せないのである。

 ケチャップもそれこそ世界各地のものを食べてきたが、やはり日本の製品が一番私は美味しいと思っている。ナポリタンやチキンライスを作る場合は、日本製のケチャップが加熱を考慮して作られているのか、とにかく一番相性が良い。ケチャップと並んで洋食開拓期に普及したものにウスターソースというものもあるが、これも海外に持って行ってフライやキャベツの千切りに掛けて出せば大体評判はいい。ソース焼きそばも海外の人には好評の日本の食べ物だが、あれも日本の焼きそば用のソースがあってこその一品であり、イギリス製のソースの元祖リー・ペリンではどうにもならないのである。

 ところで、イタリアでは邪道とされるケチャップやソースのあれこれを、嬉し楽しく書いていて気がついたのは、蒸気機関車を新幹線に進化させ、洋式便器をウォシュレットに至らしめた、外来文化を日本でアレンジして逆に海外を唸らせる、それと同じ性質のことが日本の食文化においても起っていたということだ。ケチャップやウスターソースは日本人の持ち前である探究心とグレード向上への執着心が生み出した、誇り高きニッポンの調味料なのである。

 そういえば、あのトランプ大統領は大のケチャップ好きで世界どこへ行くにもケチャップを持参するそうだが、今後もしアメリカとの間に上手く纏めたい話がある場合は、日本政府はナポリタンかオムライスであの人を接待してみるのはどうだろう。少なくとも私の作った大して上手でもないナポリタンやオムライスでも、あれだけケチャップを嫌悪するイタリア人達の心を開くことができたのである。もともとケチャップ好きのトランプであれば、きっと美味しいと思ってくれるだろう。今の大統領としか叶わないであろうケチャップ外交の実現にちょっと期待。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。