食のエッセイ

珍味雑感(白子の美味しい季節が来た)

 うちの子供はイタリア生まれの海外育ちだが、完全に和食党である彼の好物のひとつに〝めふん〟の塩漬けというものがある。イタリアから一時帰国した際に過ごしていた北海道で、私と息子はよく当時仲良くしていた新聞記者夫婦のお宅にお邪魔をすることがあったが、このふたりはそれぞれ北海道の海のある街の出身でお酒を嗜んでいたこともあり、食事となると北海道らしい酒の肴的な料理がふるまわれるのだった。〝めふん〟を初めて食べたのもこのお宅でのことだったが、就学前の息子が酒飲み的珍味を嗜好するようになってしまったのは、おそらくこのご夫妻の影響ではないかと思っている。

 ちなみに〝めふん〟とは、鮭の中骨に入っている血腸(腎臓)のことである。北海道の人であればその名前を聞けば〝めふん〟がどんな食べ物なのかがわかるのかもしれないが、日本の他の場所でこれと同じものが食されているのかどうかまでは私にはわからない。ただ、私もこの北海道の珍味が大好きで、居酒屋などで辛口の日本酒を飲んでいると時々無性に食べたくなることがある。

 〝めふん〟のように、日本には地域の特色を反映した美味しい珍味が随処に存在するが、そこまでニッチなものではなくても、秋の深まるちょうど今頃の時期に日本へ帰ってくると、血湧き肉躍る程食べたくて食べたくてたまらなくなるのが、白子である。私の白子好きは友人や付き合いのある編集者達にも良く知れ渡っていて、彼らと一緒に食事をする機会があると、白子を美味しく頂ける店を選んでくれるのが有り難い。一度、痛風なのでプリン塩基系の食べ物を全て控えているんです、という編集者がわざわざ私の為に、白子だけでなくあん肝や魚卵の美味しい店を用意してくれたときは大変気の毒だったが、最終的には彼の為に出てきた分も私が全て平らげた。「女性も痛風になるひとはいますよ」と一応警告されるも、あまりに全てが美味しくて、そんなことに気を配っている場合ではなかった。

 白子の食感の滑らかさととろみ、まったりとしたコクの籠った味は、珍味好きの私の中ではキング・オブのレベルに達しているが、スケソウダラの細かい襞のものよりはやはりマダラのぷりっとしたものが好みだし、フグの白子も軽く炙ったものは薄皮に包まれた中身のアツアツのクリーミーさが一度食べればクセになる絶品だ。

 暮らしているイタリアの家族や友人に私の好物は、タラなど魚の精巣だと言うと、もの凄く大袈裟に驚いた顔をされたりするが、「だってあなたたちだって卵巣を食べるでしょうよ」と言うと「!?」と、すっとぼけた表情をする。イタリアも地域によって嗜好される珍味の種類も違ってくるが、もはやカラスミはイタリア中で美味な珍味食材として、レストランや家庭で普通に用いられていると言っていい。とはいえ、カラスミは見た目も食感も決して奇抜ではないし、さすがにイタリアでは日本ほど際どい珍味の存在は思い当たらない。サルデーニャ島のウジの湧いたチーズが世界規模で有名なイタリアの珍味とも言えるが、ナマコやホヤのような、ただでさえグロテスクな見てくれの海産物の内臓を塩漬けにしたり、イナゴのような虫を煎ったり煮たりして食べる、というジャンルのものは私の知る限り、どこにも無さそうだ。

 ちなみにイタリアのトスカーナなど特定の地域では、先述したタラの精巣である白子とそっくりな食べ物が食されている。貧乏画学生だった私はお金が無くてなかなか帰れない遠き日本の大好物への思いを馳せながら、同じような食感の仔羊の脳味噌を時々食べていた。さすがに生ではなくフリッター仕様にして振る舞われるのが常だが、仔羊の脳味噌はその見た目も味もどこか白子の天婦羅を彷彿とさせるものがある。

 日本で「仔羊の脳味噌のフライが美味しくて」などと言うと、あなたってなんて酷い人なの!? あの可愛い仔羊の脳味噌を食べるなんて!という非難の眼差しを向けられることもあるけど、そもそも羊という生き物は古代のむかしから、人間にとっての欠かせないタンパク源であり、脳味噌から生殖器に至るまで、余すところなく丸ごと食べてしまえる動物なのである。沖縄の豚も食べられない部位は無いと言うが、羊の場合は羊毛も取れることを考えると人間の文明を支えて来た偉大なる動物なのである。

 しかし、ハチノスや第四胃袋を日頃嬉しそうに食べているトスカーナの人々が、誰でも仔羊の脳味噌を好いているかというと、決してそうではない。脳味噌はやはり他の臓物とは用途が違うという先入観と、見た目だけで拒絶反応を起こす人がいるようだ。確かに、無いと困る食材ではないし、食べたくてたまらない、という思いに陥るわけでもないけど、でも、白子の食感と味を知っている日本の人には一度経験してもらいたい食べ物ではある。

 そういえば、フィレンツェに居る時に初めて知って、虜になった食べ物のひとつに牛の骨髄というのがある。この骨髄が食べられる骨付き肉の煮込み料理であるオッソブーコは、直訳すれば「骨の穴」という意味であり、実は一回の調理でティースプーン一杯分の量しか食べられないこの骨髄こそが、オッソブーコのメインだという説もあるくらいだ。イタリアの住処の近所でレストランをやっているオヤジに「オッソブーコの周りの肉はいらないから、骨髄だけを茶碗にてんこもりにして食べたい」と言ったら、「スプーン一杯分だからこそ、これはおいしいんだ!」とピシッと言われたことがあった。大量に食べることが叶わないからこそ嗜好されるのが、確かに珍味というものではある。

 積極的に口に入れる気にならなそうな食材や動物の部位ではあっても、秘めたる美味しさがあるものを世間では珍味とされる。しかし、フォアグラやフラミンゴの舌、メス豚の子宮や乳房まで、立派な食材として宴の席で口にしていた古代ローマ人にしてみたら、この珍味という概念自体理解できないかもしれない。料理にはイワシやウツボの魚醤が欠かせなかった彼らであれば、めふんも酒盗もこのわたも、白子もカワハギの肝も「これは美味い!」と思わず声を漏らしてしまう食材だった可能性もある。彼らが今もこの世に存在していたら、日本の温泉とともに是非そういった日本の珍味も試してもらいたいところだった。

  我々人間という生き物は基本的に雑食であり、余計な情報や既成概念に邪魔されなければ、実は結構何だって平気で口に入れ、しかもそれらを心から美味しいと思うことのできる、味覚に対してオールラウンダーな生き物なのである。そんなことを、秋から冬にかけて白子やあん肝を口にする機会が増えるたびに痛感させられる。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。