食のエッセイ

世界のSUSHI

 海外で生活していると、一番食べたくなる日本食は何ですかという質問を受けることがあるが、私の場合は食べたいものがありすぎていつも返答に窮してしまう。別に答えたところでその場でその日本食を出して貰えるわけではないのだから、思い当たるものを何でも答えておけばいいのだろうけど、でも味覚の想像力というのは視覚的な嗜好品を選ぶよりも難しい。

「やっぱり寿司ですか?」と畳み掛けられる場合もあるが、そういう場合は天の邪鬼体質が露見して「いや、寿司はそれほどでも」と答えてしまう。実際、寿司というのは私が留学を始めた33年前と違っていまや世界的市民権を得ている日本食であり、世界の料理が蔓延り難いイタリアでもスシだけは、ここ10年くらいから地方都市でも食べられるようになった。私の暮らすパドヴァのような地方都市にも、最近はスシを出している店が幾つもある。

 パドヴァは観光都市でもなければ、イタリアの中でも比較的地味で真面目な人々の暮らす街だし、外国の食べ物に対しておっかなびっくりなイタリアの中でも味覚に対しては更に保守的だ。イタリア人にとってせいぜい受け入れられる外国の食事といえば、ハンバーガーのようなアメリカのファーストフード以外だと、中華料理だろう。中華料理はさすがに何十年も前からあらゆる街に当たり前に存在していたし、イタリア人も中華だけはたまに食べたくなるらしく、これだけは未だに維持され続けている外来食文化だ。

 しかし、このイタリアに於ける中華料理屋が、ある時を境目に次々と自らの国籍のアイデンティティを捨て、"スシ"を出すニッポン風の店に衣替えをしたのである。イタリアではだいぶ前から中華料理屋の衛生管理や中国人の不法入国+不法就労が問題になっていた。食材や生産地に殊更拘るイタリア人は、それが理由で中華を嫌厭しはじめ、我が家の家族も未だに中華料理を食べたがらない。そんな理由が発端となって、イタリアの少なく無い数の中華料理屋は、皆ヘルシーで清潔なイメージのある "ニッポンのメシ屋"に姿を変えていったのである。だから、表向きは日本風だけども、経営者も調理人も実は中国の人、というのが常なのだ。そしてそういった疑似ニッポン料理屋でのメインが"スシ"ということになる。

 例え調理人が中国人であっても、イタリアみたいな国において、よくぞ生の魚を使った料理が支持されるようになったものだと感心するが、イタリアの"スシ"の嗜好はほぼメディアがもたらしたものだろう。映画やニュース、雑誌などのメディア。日本という国全体に対する一種のブーム。植民地を持っていたことで、もともと多元的な味覚の料理に寛容だったフランスやイギリスといった近隣の国々の人々が日常で当たり前にスシを食べている中で、イタリア人だけがいつまでも味覚の新境地への一歩を踏み出せないでいた、その遅れを取り戻そうとするかのような勢いすら感じられる。

 私も何度か家の近所にあるスシ屋へ行ったが、勿論日本の寿司屋とは比べ物にならないくらいバリエーションは少ない。握りといえば、サーモン、マグロ、ヒラメのような白身魚に茹でたタコ。茹でたエビ。カニカマ。ネタはだいたいこのあたり止まりだ。それに加えて皆が"マキ"と呼称する巻物系があるが、これも握りと同じ素材が使われていて、アボカドとカニカマとサーモンがネタになったカリフォルニア巻き的なものもメジャーだ。

 どうしても、どうしても酢飯に調理していない魚がセットになっているものが食べたくなったら、こうした近所の中国人が経営する疑似スシ屋へ来て、味覚の衝動的我儘を抑えることも今では可能なので、30年前みたいに寿司幻影に悩まされてのたうちまわるということは確かに今ではなくなった。

 魚介のうまみを把握している国ポルトガルのリスボンでは、日本の人がやっている美味しい和食屋もあり、この街で食べる寿司はかなり本格的で美味しかった。もともと生魚に対しての偏見が無いリスボンの人達の舌は、寿司を吟味できるキャパがあるのだと思う。勿論リスボンにも疑似スシ屋はあるし、疑似スシ屋は何と言っても値段が破格に安い。立派な和食屋で食べるよりも経済的だから誰でも行くことが出来てポピュラーなのだが、そういう店で出されるスシにはたまに不思議なソースのトッピングが掛かっている。天婦羅をネタにした寿司には、どろっとした甘い濃い口醬油が掛かっていたり、ヘタをするとその上に細いマヨネーズの筋がヌーベルキュイジーヌ風にお洒落な曲線を描いていたりする。

 リスボンでは人生で初めて寿司の天婦羅なるものも口にしたが、これも寿司だと思って食べなければなかなか美味しい。そう、寿司と思って食べなければいいだけの話なのである。ちなみにこの寿司天婦羅が出されていた疑似スシ屋の経営者は中国人ではなくブラジル人だったが、日系人というわけでもない。恐らく日系人の多いブラジルにおいて寿司はハワイのスパムおにぎりのように(ハワイにはスパム寿司というのもあるらしいが)完全に現地に帰化した食べ物となっていて、独特の、新たな進化を遂げ続けているのであろう。

 今まで暮らした国の中で唯一寿司幻覚にうなされたのは中東のシリアだったが、 現在隣国レバノンのベイルートには寿司屋があるらしい。嘗てボランティアで訪れていた頃は配給のパン一個が手に入れば万歳だったキューバのハバナにも今では寿司を出す店があるらしいし、ドミニカにもプエルトリコにもあるというからカリブ海ではほぼ寿司に困ることはないだろう。中国人がやっている寿司は食べたことはあっても、中国本土では食べたことがないなあと思ってネットで検索してみると、鮮魚に緑やトロピカルブルーの色がついたカラフルな寿司の画像が現れた。国によって寿司の解釈や楽しみ方はそれぞれであるが、それにしてもスシという食べ物の外交力と現地における際限の無い適応性には感心するばかりである。寿司を擬人化した漫画でも描いたら面白いことになりそうだ。

 つい最近、姑から「今日はスシ作ったから食べに来い!」と徴集されたことがあった。50キロ離れた実家まで車を走らせ、お昼時に到着してみると、テーブルセッティングのされた机の上にはお洒落な日本料理店のように、大きな皿が並べられている。そしてその真ん中に2つ、下が白くて上がオレンジ色の四角いものが並べられてあった。よく見ると、クリームチーズを四角く象ったものに、スモークサーモンをスシ風にのせたものだ。「どう? 故郷を思い出す? 嬉しい?」と力強く問い質されたので、「うん」と答えておいた。

 翌日、私は目を覚ますと真っ先に東京の一番町にある行きつけの寿司屋に電話をし、次回の帰国時、帰国をするその日に予約を入れた。生粋の日本のスシの味を、早急に取り戻す必然性に駆られていたからだが、そうするとやはり、海外で長く暮らしていると最も食べたくなる日本食は、何よりも寿司なのかもしれない、という結論に至るのである。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。