ヤマザキマリの「世界を食べる」

イタリアを拠点とし世界中を飛び回る漫画家、ヤマザキマリ氏が、食に関わるテーマでエッセイを連載します。→ ヤマザキマリ プロフィール

イタリアロケで胃袋を掴んだもの

 先日、年末にNHKで放送予定の番組の取材のため、俳優の北村一輝さんとフィレンツェ、ローマ、そしてシチリア島のパレルモとエガディ諸島のファビニャーナ島などを巡ってきた。北村さんとは今年の春にも同局のカラヴァッジョを巡る旅でご一緒したばかりだが、今回は評判の良い観光地を訪れるメジャーなイタリア紀行とは志向を少し変えた、若干マニアックとも言える内容の番組になる予定で、我々は8日間掛けてこれらの地域を巡った。

 毎回、イタリアでのテレビ取材があるときは、日本から遥々やってきたスタッフの方達と、様々な場所で地域のイタリア料理を頂くわけだが、今回も取材のスタート地点であったフィレンツェでは撮影の合間を縫って、かつてこちらのエッセイでも紹介させて頂いた、私の学生時代からの大好物"ランプレドット"というモツ煮込みを出す屋台へ寄り、夜は名物フィレンツェ風ビフテキを食べに行くことにした。日中であっても白い息が出る程寒く、どんなに胃を満たしてもなんだか物足りない心地で過ごしていた私達は、10人で分配してもひとりあたり二〇〇グラムはあると思しきデカさの肉をたいらげようと意欲満々だった。しかし、肉を食べ始めてから数十分、ぼちぼちリタイアを宣言する声が上がり始め、皆ウェイターから「ほら、まだ残ってるぞ!」と指摘されるも、最終的には肉を骨までしゃぶるという当初の目的は達成出来なかったのだった。

 グルメ大国イタリアにやってきた、という気負いも、平均年齢40歳以上ともなると、効力に限界があるということなのかもしれない。考えてみたら、昨今の私のイタリアにおける食生活も、ほぼ毎日あっさりしたものばかりである。パスタも肉も食後の胃もたれが気になる理由で積極的には食べない。最近はイタリアでも健康的な食材として人気のある豆腐が入手できるので、それを具にしたみそ汁か、お茶漬けばかり作っている。胃腸は加齢に従順なのである。

 しかし、不思議なことに、疲れた胃が果たしてあっさりさっぱりしたものばかりを求め続けるのかというと、そうとは言い切れない。この世には、炭水化物と肉で作られた、どんな胃腸の状態であってもそれなら大丈夫、という不思議な食べ物が存在するのである。

 フィレンツェでのロケを終え、次の目的地ローマへ向かう列車の中で北村さんやスタッフと「今晩メシどうしようか」という話になった。「胃に負担がないものにしたいなあ」というダラダラとしたやり取りのあげく、誰ともなく「餃子が食べたい」という胸中を吐露しはじめた。実は、その日のランチでラビオリを頂いていた段階から既に我々のテーブルでは餃子の話題が飛び交っていて、東京の店ではどこがおすすめか、家で焼く時のコツは何か、なんていうやりとりがあったばかりだった。おそらくその時から皆の潜在意識には「餃子」の二文字が刻印されていたのだろう。

 夜9時頃にローマに着くと、仕事と移動の後で疲れてはいたけれど、ホテルのチェックインも後回しでそのまま市内の老舗和食レストランに直行し、我々はテーブルに着席するなり水餃子と焼き餃子とビールを頼んだ。

 餃子への思いで頭の中を飽和させながら、口に運ぶまず一口目の餃子の美味さは、きっと読者の皆さんもよくわかっているだろう。なので、あえてここではヘタな言葉を選んで形容を試みるまでもないだろうが、わたし的には、かつて浴槽の無い生活を2年過ごした後に日本へ戻り、やっと湯船に浸かったときの、意識が遠退くほどの心地よさに打ちのめされた、あれに近いものと言うべき戦慄が身体中に走った。大袈裟なようだが本当だ。頗る美味しいものを口にすると、いったいどんな神経伝達物質が脳内に分泌されるのか知らないが、恐らく一口目の餃子を頬張ったあの一瞬の間、口の中以外、私は自分の身体の他の部分に関してはほぼどうでもよくなっていた。

 我々の舌は、餃子のあのつるっとした皮が素晴らしい企みを抱えていることを知っている。舌はあの皮の食感を捉えた瞬間に「おっ、今から凄いことが起きるぞ!」というお楽しみ待ち構えモードになり、噛み砕かれた皮からぶしゅっと溢れる肉汁と、いいあんばいに味付けされたほくほくの具で口の中がいっぱいになると同時に、我々の意識を法悦状態に導く。

 はっと気がつくと、机の上の餃子の皿はすっかり空になっていた。皆顔の血色も数時間前とは打って変わったように良くなり、表情もすこやかになっている。我々は心身すっかり元気になってホテルへ帰り、そのまま幸せな眠りについたのだった。

 その翌々日のことである。朝の撮影の後、私と北村さんら一行は別行動を取っていたのだが、午後に再び集合した時に彼は私の顔を見てにやりと笑い「実は今日の昼も中華で餃子食べてきちゃった、青島ビールで」と嬉しそうに一言。私はとたんに平常心を失い、おかげで午後の取材は再び餃子の味の妄想で頭がいっぱいになってしまった。ヤマザキマリがセレクトした知られざるイタリアをご案内する旅番組の撮影だというのに、頭の中が餃子とビールで飽和してしまうとは、なんとけしからんことであろうか。こうなったら撮影が終ったら夜は自分だけでもその中華屋に餃子を食べに行こう、そう心に決めた。

 その夜、中華屋の丸テーブルには私達と、なぜか昼にもそこにいたはずの北村さんとヘアメイク氏の姿もあった。「餃子っていくら食べても飽きないよね」という言葉でどんな行動も許されるような気が私達にはしていた。その中華屋で出された餃子は日本のものよりも遥かに厚い皮でくるまれていて、味も抜群においしいよね!とは言い難いものではあったが、そんなことはどうでもよかった。イタリアで餃子は「中華風ラビオリ」と呼称されているが、自分たちの地域の料理に保守的なイタリア人達にとっては、このくらいコシのある皮の食感の方が気持ち的に入り易いのだろう。調べてみると、ラビオリ自体がもともと東方から伝えられた餃子を起源とする説もあるようだ。

 そういえば私の漫画作品『テルマエ・ロマエ』でも、主人公ルシウスが温泉街で入ったラーメン屋で店の大将からサービスでだされた餃子のうまさに感動し、一個だけ浴衣の袂に入れて古代ローマに持ち帰り、地元でも同じようなものを作らせるというエピソードを描いたことがあるが、実は餃子の歴史はとんでもないくらい古く、紀元前6世紀、中国春秋時代にまで溯る。

 しかも、この餃子的な料理というものはアフリカや南アメリカにいたるまでの世界中に存在し、小麦粉の皮で肉を包んで調理する料理というものには、古今東西の人間の味覚を惹き付けて止まない魅力があることが窺える。中国西部を旅した時も、餃子専門店で数えきれないくらいの餃子を毎日食べまくり、ガイドさんに「あんた大丈夫か」と心配されたが、むしろその逆だった。某製菓会社のキャラメルの箱には一粒三〇〇mという宣伝が打たれていたが、私なら餃子一個で一〇〇〇mはいけるだろう。

 取材も終盤に差し掛かり、シチリアのパレルモでスタッフ全員とともにご飯を食べる最後の夜になった。地中海に浮かぶ島シチリアといえばイワシやウニのパスタ、カジキマグロ料理など近海の新鮮な食材を使った海産物料理で有名な土地だが、何故かその夜、テレビクルーと私達出演者を含む十数名の日本人達は、パレルモの小さな中華屋のテーブルでびっしり肩をくっつけ合いながら座っていた。シチリアへ来てから3日目、美味しい魚介類も沢山食べてはきたのだが、最後の夜は本当に食べたいものを心置きなく食べよう、ということになったのである。

 そんな私達の前に運ばれてきたのは、もちろん皿にてんこ盛りの餃子であった。橙色の電燈が灯された生暖かいパレルモの夜、ゴッドファーザーの舞台となったマッシモ劇場からそう離れてもいないその地味な中華屋で、私達は青島ビールで思い切り乾杯をし、心行くまで皮の厚い餃子を食したのであった。


※この番組は二〇一六年十二月二十七日の夜10時からNHK総合でオンエアされます。
 ホームページはこちら

ヤマザキマリ

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり) 氏

漫画家。1967年東京生まれ。
84年に絵画の勉強のためにイタリアに渡りフィレンツェの美術学校で11年間油絵を学ぶ。
その後中東、ポルトガル、シカゴを経てイタリアに在住。
『テルマエ・ロマエ』で2010年漫画大賞、手塚治虫賞短編賞受賞。
他に『ルミとマヤとその周辺』『モーレツ!イタリア家族』『ジャコモフォスカリ』『世界の果てでも漫画描き』など。
現在は講談社で『スティーブ・ジョブズ』新潮45で『プリニウス』連載中。