食のエッセイ

たまご

 大分前になるが、長期にわたる蕁麻疹に悩まされ、病院でアレルギー検査を行った際に、唯一の要注意の食べ物として「卵」という結果が出たことがあった。医師には「完全に食べてはいけないというわけではありませんが、多分摂取し過ぎの傾向があるので、なるべく控えて下さい」と言われ、一応指示に従って暫くの間一切の卵類を断った食生活をしてみたのだが、それによって、私は人生で初めて、自分がとんでもない卵好きであるという自覚をするに至った。卵の食べられない人生なんて自分にとって果たして有り得るのだろうかという不安に苛まれるくらい、卵ナシの食生活に絶望感を感じたのである。

 一方、私の身近にいる家族や友人達は私が卵過剰摂取な暮らしを送っていた事を告げると「ああやっぱり」と皆一様に納得。自分で自覚している以上に、私の卵好きは周知されていた。

 確かに日本では居酒屋へ行くと必ず卵料理を注文する。その店にまた戻って来たくなるかどうかは、そこで出される玉子焼きの味による、という自分なりの基準値があるのだ。そして、卵を旨く料理できる店は大抵お気に入りになる。

 そういえば、イタリアでもピッツァを頼む時は必ず真ん中に半熟の玉子を乗せてもらうし、普段滅多に食べたい気持ちにならないパスタも、カルボナーラであれば食欲をそそられる。しかし、残念ながらイタリアは卵料理のバリエーションがそれほど沢山無く、実はそれがこの国に長年暮らしていても、イタリア料理というものを心底から好きになれない理由なのかもしれない。

 ポルトガルに暮らしていた時は、土地の様子も何もかもが肌に合って、私は心身ともに絶好調な日々を過ごしていたが、考えてみればあの国はスイーツ部門における卵大国である。日本でも南蛮人が運んで来たお菓子が今も九州にいくつも残っているが、それらは大体すべてが卵をふんだんにつかったスイーツである。カステラ、鶏卵素麺、ボーロ。全て卵満載のスイーツだ。黄身をたっぷりと使ったカスタードクリームも、イタリアでは婆さん世代が「クレーマ・ポルトゲーザ(ポルトガルのクリーム)」と呼称しているくらいだから、あれもポルトガルがオリジナルなのかもしれない。

 ポルトガルの卵素材のスイーツはその殆どが、もともと修道院で何世紀にもわたって生み出され、そして僧侶達によって食べ続けられていたものがルーツになっているが、日本でもエッグタルトという名称で知名度を広げた「パステル・ディ・ナタ」も、修道院伝来のものである。偉い位の僧であれば、1日に卵3個まで食することができたという話を聞いたことがあるが、それにしても半端ないコレステロール値だったのではないだろうか。人ごとではないのだが、今でも恐らくポルトガル人は知らず知らずのうちに1日少なくとも1個以上の卵を食べているのではなかろうかと勝手に憶測をしている。

 先日6年ぶりにリスボンに放置したままになっている我が家の掃除に戻ったのだが、ついつい、周辺にある馴染みだったカフェで私はまたしても大量の玉子菓子を食してしまった。留守の間に、同じ区画の数件となりに「2015年度エッグタルトコンテスト1位」の店まで出来ていて、一週間の滞在中は毎日そこのエッグタルトが私の朝メシとなった。

 ポルトガルで好きなお菓子を上げるとキリがないのだが、特に大好きなのは「天使のほっぺ」という、名前通りのふわふわのスフレのようなお菓子と、「モロトフ」と呼ばれる、たっぷりのメレンゲを低温で焼いたこれまたふかふかのお菓子だ。この二つはどこの店にも置いているわけではないし、リスボンに暮らしている時もしょっちゅう食べることができたわけではないが、未だに想像するだけでも涎を分泌させるほど、私のツボにはまったスイーツである。

 しかし、一度そのリスボンで卵に関する大失敗をしたことがあった。私は日本でも生卵が大好きで、卵掛けごはんなどはしょっちゅう食していたのだが、ポルトガルに引っ越して間もなく、私はこの卵掛けご飯が原因で病院送りになってしまったのである。

 病院の医師に「生卵を食べた!?死にたかったのかい」と言われるまで、私はこの国の生卵に、ふんだんなサルモネラ菌が生息していることを知らなかったのだった。人生で数々の食中毒を体験してきたが、生卵が齎す(もたらす)食中毒は半端の苦しみではないので、あれ以来、海外ではどこの国にいてもさすがに生で卵を食べる事はなくなったが、卵というものが、一歩間違えれば体にとって恐ろしき影響を及ぼす食材であることを忘れてはならない。

 かつて北海道のテレビで温泉や食のリポーターをやっていたときに、ダチョウを飼育している農園に御邪魔して、ホットプレートで焼いたダチョウの卵の目玉焼きという信じられないものをひとりで食したことがあった。卵好きの私でも思わずたじろいでしまう程、大きさも厚みもある巨大目玉焼きを、それでも醤油をかけたりしながら頑張って半分は食べただろうか。その夜、体中にびっしり地図のような蕁麻疹が現れて、これまた大変苦しい思いをした。過剰なボリュームの卵の摂取に対するアレルギー反応だったのだろう。

 そんな惨憺たる思いをしつつも、結局卵を完全に断つ暮らしができなかったのは、どうもあの味覚と食感に取り憑かれていることだけが理由ではないからだろう。

 「ルミとマヤとその周辺」という昭和を舞台にした作品で、小学生の主人公が通う学校のクラスに経済環境が豊かではないいじめられっこがいて、彼が悲しい理由で別の町に転校をしなければならなくなった時に、お母さんが大量の茹で玉子を「今までお世話になりました。みんなで食べてください」と持ってくるというシーンを描いた事がある。あの作品はフィクションではあるのだが、概ね私の過去の記憶がベースになっていて、この卵のエピソードも実際にあった話である。

 何を持って来たのかとふろしき包みをあけてみれば、中から出て来た大量の茹で玉子を目のあたりにし、クラスの子供達は大騒ぎをした。しかし、その子が私と同じ母子家庭の子供であり、生活に困窮しているにもかかわらず、クラスの子供達に何かを持って行かなきゃと思ったお母さんの気持ちを慮るといたたまれず、私はその茹で玉子を皆が騒ぎ立てる中でひとりで頬張った。

 戦時中、卵がいかに貴重なタンパク源だったかという話は母から耳にタコができるくらい聞いていたのも影響していたのだろうけど、卵という食材は、その小ささやシンプルさに見合わない、生命力や温もりが込められている食材なのだ。

 バングラデシュのドキュメンタリー番組で卵を運んでいたおじさんが車とぶつかりそうになって、思わず片手に抱えていた大量の卵の籠を地面に落として全て割ってしまい、大粒の涙を流しながらその惨状を悲しんでいるというシーンを見たことがある。それが野菜のような食材であれば何も思わなかったのかもしれないが、卵だっただけに思わず感情移入して、おじさんにもらい泣きしてしまったこともあった。

 卵とは、慎ましやかながらも人の食の歴史を支え続けてきた、偉大なる食べ物なのである。

 ちなみに、イタリアのどこかの考古学博物館で、火事になったと思しき古代ローマ時代の家屋から発掘されたという、炭化した真っ黒な茹で玉子の残骸が飾られていた。小さなボウル状の器に3個程入れられたそれらは、熱で爆発をしたような気配があったが、なぜそんなことが判るのかというと、私は今までに二度程茹で玉子を焦がして爆発させたことがあるからだ。一度はシカゴの高層マンションのキッチンで、もの凄い煙が発生してしまったがためにスプリンクラーが発動してしまった。もう一度は、今暮らしているパドヴァの家で起ったが、どちらも茹でている最中に原稿を執筆していたのが原因だ。卵は爆発するともの凄い臭さを放ち、周辺に飛び散った黄身も白身も信じられない粘着力をもって附着する。3日毎日掃除をしても、卵の気配を消す事は難しい。卵というのは、その味覚にせよ、食材としての多様性にせよ、体への影響にせよ、兵器という意味でもとんでもない主張性のある食べ物なのである。

 こんなふうに卵の事を文章として綴っている端から卵が食べたくてたまらない気持ちになっている私だが、コレステロール値は常にチェックしながら、過剰になり過ぎない程度に摂取しつつ、きっと私は死ぬまで卵を愛し続けていくのであろう。それは間違いない。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。