食のエッセイ

深遠なるモツのこと

 11年間に渡る画学生時代のフィレンツェ暮らしにおいて、一番気に入っていた地元の料理は何だったかと問われたら、私は迷わずに「ランプレドット!」と答えるだろう。「ランプレドット」とは牛の第四胃袋のことであり、これを煮込んだものがフィレンツェの代表料理の1つとなっているが、実は観光客にはあまり知られていない。イタリア国内でもフィレンツェのあるトスカーナ州では、「トリッパ」を始めとして、比較的モツ系の料理が多いように思うが、その割には街中のレストランにおいて、こういった名物のモツ系メニューが積極的に振る舞われている様子も感じられない。

 フィレンツェ中央市場周辺の、私が知っている何軒かでは、例えば仔牛の脳味噌のフリッターや、同じく仔牛の腎臓「ロニョーネ」(これも私の大好物)の煮込みなどを出すところもあるが、雰囲気は観光客に媚びたようなこじゃれ感は全く無く、大衆食堂的なものが多い。要はイタリアにおいてもモツ料理というものは、主にブルーカラーのメニューであり、それを食べにやってくる地元民の雰囲気はどことなく、東京で言えば赤羽や十条の店で立ち飲み喰いしている人々と共通するものがある。

 先述のランプレドットにおいては、これはまたイタリアン・モツ料理の中でも扱われ方が若干特殊で、食堂で出されるというよりも、街中に数カ所だけあるランプレドット専門のオート三輪屋台で食べるのが一般的だ。フィレンツェの街中であれば私が知っているだけでも3カ所、このランプレドット屋台が出ているが、昼時になるとそこには周りの市場で働く労働者やお店の店員などが集まってくる。そして、オート三輪屋台に設えられたコンロで煮えているランプレドットを細切りにしてもらったり、パンに挟んだパニーノ状態にして食べるわけだが、私は特にこのパニーノバージョンのランプレドットが気に入っている。2つに割った歯ごたえのある硬いパンの裏側をこのランプレドットを煮込んだ汁の入った鍋に浸し、そこに具を挟むわけだが、私の気に入りの屋台ではそこに更にサルサ・ヴェルデというパセリと鯷鰯で練ったソースを少しだけアクセントとして加えるのだ。

 真冬の寒いフィレンツェの街中で、人生で初めてこのランプレドットを口にした時の、あの空腹とストレスと疲労を一遍にふっとばす寛大で暖かさに満ちた「オフクロの味」感はあまりにも感動的だった。私はモツが好物だったわけではない。好物どころか、むしろ母親は仕事で忙しく普通の料理ですらなかなか作らない人だったから、モツなんてものは殆ど食べた事すらなかった。だから、ランプレドットを口にしたことで、初めて動物の臓物というものが、肉とは全く違う次元の美味しさを持つものであることを知ったのである。

 しかし、ランプレドットの感動を学校の友達に伝えた時の反応は、思いがけず冷ややかなものだった。今でも仕事でフィレンツェを訪れる機会があると、イタリア人の友人や仕事仲間にお昼はランプレドットにしないかと提案すると「えーっ、マリはあんなものが好きなの!?」と驚かれたりする。考えてみたら、イタリア人でも、トスカーナ以外の地域の出自でありながらモツ料理が大好きだ、という人には確かに今まであまり出会った事はないかもしれない。唯一サルデーニャ出身の学生がランプレドットの美味しさに同調してくれたが、彼の田舎では飼育している羊の角と爪と骨以外は全て食べるのだと言っていたのを思い出す。少なくともイタリアでは、モツというのは基本的に経済的に裕福な人にはそれほど好まれない傾向があるようだ。

 これはイタリアに限った事ではないかもしれないが、いい肉はお金持ちが食べ、内臓は貧乏人が食す。食文化にそういった経済力のヒエラルキーが反映しなくなったかに思える現代の先進国であっても、モツ料理は未だに卑下されがちなのである。

 ところで、モツの中でも偏見も味の難易度も他の部位ほど高くないと思われるものにレバーがある。フォアグラもガチョウの肝臓を使った料理だが、これはモツであるにも拘らずフランスのお金持ちや貴族にしか食べられない特殊な料理として嗜好されてきた。私が今暮らしているヴェネト州のヴェネチアでもレバーを使った名物料理があるし、ローマにも仔牛の内臓を使った料理がある。シチリアでも地域の名物だという鶏の内臓を使った料理を食べた事がある。鶏の内臓と言えば、トスカーナのモツ料理で私がランプレドットの次に好きなのが、鶏レバーのペーストをのせたクロスティーニ(カナッペのようなもの)だ。この料理は地元民だけではなく観光客にも幅広くトスカーナ料理として知名度も高く、世界中の多くの観光客にも食されている。

 そんなイタリアで、鶏レバーペースト経由ではなくランプレドットでモツ料理デビューを果たした私は、日本でも世界でも積極的にその地域に存在するモツを使った料理を食べるようになったわけだが、ランプレドットに並んでその美味しさに感激したのはブラジルのフェイジョアーダだろう。黒いインゲン豆と豚肉やソーセージをごった煮にした料理だが、中には豚の耳や豚足、尾や皮まで入れる。その屑肉的素材からも憶測できる様に、これはアフリカからブラジルに連れて来られた奴隷達が食していた料理とされているが、今ではそんな背景はすっかり払拭され、フェイジョアーダはブラジルにおける最も有名で国民に好まれている料理の一品となっているのだった。

 モツという食材は、例えどんなに地球上の沢山の人々の食生活を支える大事なものであっても、一国の代表料理の素材として主役を張れる可能性はなかなか無い。例えばアメリカではモツはファンシーミートとかバラエティミートなどと称されているそうだが、食べ物として扱われているネーミングとは思い難いし、どこか馬鹿にされているような気配すら感じられる。だが中には、先述したフランスのフォアグラや、このブラジルのフェイジョアーダのように、一国の食文化の代表として君臨するモツ料理も存在はするのである。

 因に古代ローマにおいては、モツは決して見下された存在というわけではなかったようだ。経済的に豊かな人達は雌豚の乳房や子宮、フラミンゴの舌に仔羊の脳味噌など、肉ではない部分を贅沢な珍味として食していた記録が残っている。異文化や異宗教へのボーダーを外すことで領地を広げて来たローマ人達は、味覚の面でも偏見という意識には捕われていなかったと思われる。噛み易いから、消化し易いから美味しい、という公式で美食のあり方を完結しないところが粋である。どんな食べ物にも美味しさはある、という食に対する箍(たが)に捕われない前向きな姿勢が感じられる。

 人間という生き物は本来雑食であるという、その生体の本質の自覚が齎す(もたらす)安心感が、モツの嗜好性と繋がっているのかもしれない。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。