食のエッセイ

パンのお国事情

 美食国家と言われるイタリアだが、なぜかこの国のパンはあまり美味しくない。これは私に限らず、イタリアを旅していてそう感じた人も少なくないだろう。イタリアは地域によって食べられるパンの製造法も形状も変わるし、無味なものもあれば塩味のものもある。でもそうしたイタリアのパンは『美味しさを楽しむもの』という次元におかれたものではなく、正直パン大国フランスやドイツなんかと比べると、そのレベルはお世辞にも高いとは言えない。 

 私は別に突出したパン好きだとか、パンマニアというわけではないので、自分の味覚を基準にそう言い切るのも痴がましいが、実際日本のパンは頗る美味しい。日本にはフランスやドイツといったパン文化の発達した国仕様のパンを販売している店(昨今ではフランス風にブーランジェリーと言うのか)の数もそう少なくはないと思うのだが、イタリア系のパンを製造販売している店というのは滅多にない。ネットの検索でヒットしたお店もあるが、そこで売られているのはあの、大した味もついてはおらず、食感も曖昧で、翌日にはパッサパサになってしまう色気も素っ気も無い生粋のイタリアパンではなく、日本人が気に入る様にアレンジを凝らした美味しそうなものだった。

 イタリアではパンというのは要するに、メインである食べ物の脇役と徹し、味が余計な自己主張しないように配慮がなされてあのような素っ気ない仕様になっているらしい。逆に、フランスやドイツなど温暖な地中海から遠く離れた北方では、おそらくパンはパンとして、それだけ食べてもしっかりと美味しいものでなければならなかったのだろう。

 解り易い例は、イタリアではパスタでも肉料理でも、主役が平らげられてしまうと、それでも物足りなさを感じる人はパンを千切って皿の上にこびり付いたソースや肉汁を拭い取って食べる。または、運ばれてきた皿の中味の量を見て、腹を膨らませるのにパンの助けを借りるべきかどうかを判断する。彼らにとってのパンとは、そういう役割のものなのだ。

 以前とあるベルギーの高級メーカーのチョコレートを夫の実家にプレゼントとして持って行った時、姑はそれを迷い無くパンに挟んで愛おしそうに食べていた。そして周りの人にも「これは高価で美味しいチョコレートだから、パンに挟んで食べたほうがいいよ!その方が長持ちするし食べ応えがあるから!」と勧めていたのだった。当時百歳近い彼女の母親もチョコレートを食べる時にはパンに挟んでいたが、あの習慣は恐らく食糧難に陥ったイタリアの戦中戦後の名残りなのかもしれない。

 にしても、ちょっと小腹が空いた時や、今日はパン一個だけで軽く済ませたい、なんて思った時に、日本のパンの美味しさを知ってしまっている私にとってそれが叶わないのはなかなか切ない。

 シカゴに暮らしていた時は、メロンパンを買うために家から40キロ程離れた日系スーパーの日本式パン屋まで車を走らせたりしていたものだが、今暮らしているイタリアにはそんな日系スーパーも日本人向けパン屋も存在しない。いっそ自分で日本っぽいパンを作ってみるかと一念発起したこともあったが、なかなか仕事が忙しくてその時間を捻出できないでいる。

 そういえばポルトガルに暮らしていた時もパンはとても素っ気なかったが、イタリアと限らず、地中海沿岸やかつてのローマ帝国の領域にあたる地域の食文化においては、どこでもパンは脇役の、腹を膨らませてくれればそれでいい存在として扱われているようだ。中東ではナンやピタといったイーストで発酵させない平たいパンが、やはりメインを支える食材として食べられているが、イタリアの名物料理であるピザも考えてみたら、平たいパンが土台となっている。

 ピザの原型ともいえる、フォッカッチャと呼ばれる種類の、具材の乗っていない、少しだけ弾力のある丸いパンがイタリアにはあって、主に中部から南部で良く食べられている(ポンペイで出土した二千年前の炭化したパンもこの形状)。このフォッカッチャに関してだけは、塩気もあり、更に表面にはオリーブオイルが沁み込んでいたりするので単独で食べても結構美味しく、よくそれを口いっぱいに頬張りながら通りを歩いている若者を目にする事がある。

 ピザという食べ物も、要はインドや中東などで食され続けている平たいパンや、フォッカッチャに具材を乗っけたようなものだから、グルメとしてピザを楽しみたいイタリア人達はよく縁だけを残し、具材の乗った中心部だけを食べている。メインはパン生地ではなく具材なわけだから縁などはっきり言ってどうでもいいわけである。アメリカ経由で日本に入って来ている、縁にもチーズが入ったようなピザはイタリア人には馴染みはない。

 ちなみに貧しい地域で作られるピザというのは、生地がフォッカッチャくらいふかふかで厚いものになるが、そういった事からもイタリアにおけるパンが腹を膨らます以上のなにものでもないという実態が窺えるのだった。そもそもアメリカで普及された厚みのあるピザの生地は、もともと貧しいシチリアの移民達が齎した(もたらした)ものだからという説がある。

 古代ローマ時代のように、飽食の領域にも到達するほど食文化が過去に大きく栄えたからこそ、パンが主役になりそこねてしまった地中海沿岸地域といえるが、そうだとしても、私にしてみればパン単体の美味しい世界を知らない彼らはちょっと気の毒でもある。実際かつて日本に連れて来た10人のイタリア人のオバさん達は日本で最も美味しかったもののひとつにパンを上げていた(ちなみに彼女達にとって日本で一番美味しかったものはイタリア料理だった)。

 とにかく、私にとっての世界におけるパン美食国ナンバーワンは日本である。それはつまり、欧州生まれの機関車を新幹線に、西洋便器をウォシュレットに進化させたのと同様、海外で生まれたものを本国以上のクオリティで製造してしまう日本の、こだわりの職人気質の成果のひとつともいえるかもしれない。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。