食のエッセイ

肉の喜び

 先日、我が家から50キロ程離れた田舎に暮らす姑から突然「貰ったばかりの仔羊を食べるから今すぐ集まれ」という強制的招集が掛かった。私は年末進行の漫画の原稿中でトイレに行く時間すら惜しんで作業を進めている最中だったのに、姑からの招集はそれに従わなければ後でとんでもない仕打ちもされかねない脅迫的な口調だったので、仕方なく私と夫は仕事を中断し、羊が食べたい気持ちなど一抹も無かったが、渋々田舎へと向かった。

 北イタリアの、バッサーノ・デル・グラッパというイタリアアルプスの麓の近郊にある姑の家には、広さ200ヘクタールの借用農地がある。本人達は農家の生まれでも育ちでもないのに、乗り物作りのエンジニアをやっている舅が人里離れたところにラボラトリーを持ちたいと思い立って、旧農家を買い取って自ら改造したのが彼らが今暮らしている家なわけだが、家屋や土地の持ち主がエンジニアになったとはいっても、莫大な広さの農地はそのままにしておくわけにはいかない。なので、従来その土地で行われ続けてきた通り、春から夏にはその土地を借りている農業関係者達がやってきて麦を植えたりトウモロコシを植えたりするのだが、冬の間はアルプスから降りてくる、夥しい数(おそらく、何百頭では利かない、一面まっ白でもこもこの海になる程の数)の羊を連れた羊飼いに、そこでの放牧を提供したりもしているのだった。

 そして今年もその羊飼い達がやってきて、暫く舅の農地で羊を放牧していたらしいのだが、そのお礼に、生まれてまだ間もない、ハイジのユキちゃんを彷彿とさせる天使のような愛くるしさ溢れる無垢で純粋で真っ白なかわいい赤ちゃん羊……の「肉」を貰ったのだそうだ。

 私は念のため電話を掛けてきた姑に「すみませんが、その赤ちゃん羊なんですけど、今どんな状態になっているのでしょうか…」と問い質していた。なぜなら、クリスマス時期のこの家では数年前まで自家製のソーセージ作りというのが恒例行事として行われていたのだが、毎回加勢を強いられ、そこに赴いて一番最初に私が目にするのが、殺されて解体されたばかりの、肌色の、人の体のような色をした、豚の生々しい肉片である。姑は「自家製って言うからにはここからやるのが当然じゃないの」と、近所の農家の奥さん達からアドバイスを受けて、それを切り刻んだり脂身を剥いだりなんだりという原始人的段階から作業を始めるのである。

 それも踏まえて、電話で仔羊の様子を確認したのは、もし今回もそんな惨い作業に立ち合わされるのであれば、いくら姑がヘソを曲げて私にどんな酷い仕打ちを企む結果になったとしても絶対に行かない、行けない、と思ったからだった。しかし彼女の答えは「もうオーブンに入っているけど、半端無く美味しそうに出来てる。表面は褐色に香ばしく、中は柔らかそうでもう見るからにうっとりな様子」というものであった。

  イタリアなどキリスト教の国では復活祭やクリスマスになると羊の肉を食べる習慣があるが、それはこの宗教において羊が神への捧げものを象徴するからである。決して通年、どこでもかしこでも積極的に食される肉ではないが、宗教的祭事の期間はどこの家でも羊の料理が準備されるのは当たり前なのである。 イタリアだけでなく、ポルトガルに暮らしていた時も同じく、復活祭とクリスマスにはどこの肉屋にも羊の肉が並べられていた。

 羊の肉は臭みがあって苦手、という人も少なくないようだが、漢方では体を温める作用があることは、今では多くの人に知られるようになっている。私は北海道で幼少期を過ごしたので、羊の肉は通常の人に比べると随分食べて来たと思っている。あの土地では、屋外でバーベキューをすると言えばそれがジンギスカンを意味しているようなものだし、宴会という時にはジンギスカン屋が会場になることも多々だ。母の暮らす家のそばには、大手のビール工場はふたつあるが、そのどちらにも工場直営のジンギスカン屋があって、たまに帰省すると必ずそこで家族揃ってジンギスカンを食べるのが恒例になっている。

 なので、30代の頃に夫の研究の都合でエジプトのカイロやシリアのダマスカスに暮らさねばならなかった時も、レバノンやヨルダンを長期間旅で巡った時も、日々是羊肉な毎日をそれほど苦痛と感じる事は無かった。イスラム圏と言っても羊肉しか手に入らないわけではなく、鶏肉や、値段は少しお高いけど牛肉やラクダの肉もある。豚肉が無くたって人生楽勝、と強気で暫くの間中東式食生活にも対応できていた。ある日『揚げたてのとんかつ』の夢を見るまでは。

 私の軟弱な部分は、欲するものが何をどう駆使しても絶対手に入らない、と思ったとたんに人格破綻を来すのではないか、と思われる程のパニックに見舞われる事である。お風呂もそうだったが、あまりに風呂に入れなさ過ぎて結局マンガで風呂に入る人を描く事で妄想を成就させ、なんとか荒ぶる欲求を押さえ込んだが、豚肉に関しては飛行機に乗って別の国へ移動する以外にどうすることもできなかったので、本当に苦しい思いをした。羊の肉に対するシンパシーが急激に薄れたのも、恐らくあの豚肉欲の苦しみがきっかけだったと思っている。

 そういえば私の爺さんも、1930年代に仕事で何年間も赴任していたモンゴルで、来る日も来る日も羊の腸詰めや羊の鍋など羊の肉料理ばかりたべていたせいで胃潰瘍になってしまったと嘆いていたが、喫煙者で酒飲みだったにもかかわらず彼が100歳近くまで長生きでいたのは、じつはその時代に食した羊肉で体の内側を鍛えられたからではないかという気もしないでもない。蛇足だが、大戦開始直後、帰国した祖父はその胃潰瘍を治すことができず、次なる赴任先として命じられていたシンガポールへの渡航が叶わなかったのだそうだが、自分が乗るはずだったその船は途中で撃沈されてしまったそうである。羊のお陰で命拾いをしたのである。

 そんなわけで姑の家に着いた私達を含む家族親戚一同は、テーブルに出された、それはそれは美味しそうに焼き上がった黄金色の仔羊の肉を「あっ」という間に平らげて「やはり仔羊はうまい、神の恩恵、幸せの味!」と舌鼓を打ち、仔羊を持って来てくれた羊飼いには来年にも是非来てもらいたいねえ、等という打算的な話にまで発展していった。「だってねえ、肉屋からだってこんな新鮮で美味しい肉は調達できないわよ!」と盛り上がる女たち。旦那が「そういえばマリは未年の牡羊座だったよね」と余計な口を挟めば「あらそうなの!?じゃああんた、きっと羊に向いているのよ、羊飼いになって仔羊をじゃんじゃんあたしたちに分けて頂戴よ!」という呆れる程無責任でナンセンスな会話でゲラゲラと盛り上がる。

 イタリアにおける羊の肉というのは、まあそこにあるだけで、誰をもお祭り気分にさせてくれる有り難いものなわけだが、それにしてもこの家に来る度に私は、人間という生き物の容赦ない"肉食性"を痛感するのであった。

※『アルプスの少女ハイジ』作中のユキちゃんは「山羊」です。(サイト管理者)

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。