食のエッセイ

胃袋の外交力

 食べるのは大好きだが、私の胃は実はそんなに丈夫ではない。教育的監視の目が届かぬ環境で育った私は、地面に落ちてしまったものはそれが例え舐め掛けの飴でも、べたべたの綿菓子であっても、表面の汚れを手で払うだけで平気で口にしていたし、冷蔵庫の中のいったいいつが消費期限だったかもしれない食べ物も、何躊躇する事無く普通に食していた。演奏会で年がら年中留守ばかりしていた母から託される夕食代の千円は妹と折半、その五百円で私は漫画雑誌を調達し、おつりで腹の足しとなりそうなインスタント麺やスナック菓子を買ってやりくりしていたわけだが、育ち盛りに栄養管理も何もあったもんじゃなかった。

 今現在の私の胃袋の有様を、そんな荒んだ食生活を送っていた過去にこじつけようというわけではないが、数ヶ月前の検査で私のその消化器にはヘリコバクター菌、つまりピロリ菌が自慢の鞭毛を振り回しながら元気に暮らしているということが発覚した。ピロリ菌の感染経路というものは未だに明確にはなっていないそうだが、そのほとんどが5歳までの幼少期に衛生環境がよくない場所で育った子供に感染すると憶測されている。なので、かつて地面に落ちた土だらけの綿菓子を平気で食べていた私が、ピロリ菌保持者である事は全くもって当然の結果と言える。

 母はかつて「ちょっとくらい消費期限が切れていたり、腐ってしまったものでも、そういうものを食べ慣れるようにすれば胃が丈夫になる。自分たちは戦時中悲惨なものを食べ続けていたお陰で頑強になれたのだ」と毅然と私に語っていた事がある。でも、戦中戦後のドラマティックな食料事情の悲惨さと、高度成長期に自主的に邪道な食生活を送っていた私の食料事情は全然同じものではない。今思えば、あの当時近所の食料品店や駄菓子屋で売られていたものに使われていた、危なっかしい人工保存料や着色料などは多分今ではもう使用禁止になっていたりするはずだ。学校から帰宅した後に公園に集っていた私達子供のベロは鮮やかなオレンジ色や緑色に染まっていたが、今もベロに色が付く様な飲み物なんて果たしてあるのだろうか。今は自分の子供がそんなベロになっているのを見た途端にご両親は忽ち大騒ぎかもしれない。

 そのように邪道な扱われ方をしてきた私の胃袋だが、人生で初めてその胃袋に対して頼りの無さと失望を感じたのは、14歳で欧州に一人旅に出かけた時だった。私はその旅で、人間のもっとも基本的なコミュニケーションツールというのは言語でもジェスチャーでもなく、その土地で提供される食べ物を美味しく食べる事だと察知したわけだが、彼らのホスピタリティに対する感謝の表現を頑張り過ぎた為に、消化不良を起こして寝込んでしまった。

 それを皮切りに、私の世界各国に於ける過酷な胃袋修行が始まった。

 17歳での渡伊初日、ローマに到着した私は迎えに来ていた身元引受人であるマルコ爺さんに、テルミ駅のそばにあるトラットリアへ連れていかれ、そこで人生で初めてイタリア式フルコースを体験させられた。3皿目のビフテキを食べている時は、既に緊張と時差で不安定になっていた胃袋が「限界!」のサインを送ってきたが、私はこれから自分を受け入れてくれる国と人物に敬意を示す義務感に従い、辛さに溢れる涙と全身から吹き出す汗を拭いながら完食をした。

 その後約10年に渡って続く想像を絶するような極貧貧乏学生時代が始まり、贅沢が許されない生活の中で私の胃袋は一瞬健康的になったかに思えた。一緒に暮らしていたイタリア人やその家族から学んだイタリア料理を、コストを掛けずにいかに美味しく料理するかという術まで習得し、私の胃は質素なイタリア料理と相性が良くなったかのように思えた。しかし、イタリアには沢山の国籍の留学生や移民がいる。そんな彼らと仲良くなると、一度は家に招かれて自国自慢のお料理を頂く機会があるわけだが、ある日イラン人移民の同郷の集いに誘われた私はペルシャ語の飛び交うテーブルに並んでいた、焼いた茄子の上に何十個もの擦りニンニクが乗った料理を食べて、口から泡を吹き出して倒れ、挙げ句救急車で病院へ運ばれた。ニンニクの過剰摂取が原因の急性食中毒だった。イランの人達と、彼らが心から愛する料理を通じて仲良くなろうと努めた結果がそれだった。

 その後も、私の胃袋はキューバの豆と臓物を煮込んだ郷土料理、南太平洋の村で出された蝙蝠のシチュー、モスクワの謎の小骨だらけのネズミ色の得体の知れない肉の煮込み、シリアの羊のどこの部位だかわからん内臓、シカゴの一口だけで千カロリーはありそうなチーズピザ、チベットの農家で出された絞りたてのヤクのバター茶10杯などといったものを送り込まれて、その都度例えそれがどんな味のどんなものであろうと、どんなに刺激の強いものであろうと、外交能力を最大限に発揮しようと懸命に頑張ってきた。そして私は、そのように鍛えていれば、きっといつかは世界中どこでもだれとでも仲良くなれる、マルチリンガルならぬマルチ料理適応胃袋になるのだろうと信じていた。

 しかし、間もなく半世紀近くも私という肉の袋を維持するため、過酷な環境下で栄養を供給し続けてきたこの苦労性の胃袋は、検査の結果ピロリ菌の巣窟となり、2種類の胃炎を抱え若干疲弊気味の傾向を見せている。考えてみたら胃袋というのは一見タフだが、人間の身体の中でも特にナイーブな臓器である。精神的なダメージがあるとストレートにその影響を受け易く、ストレスが溜まったり、嫌な事があると胃がしくしくと痛くなる人は沢山いる。メンタルと胃はしっかりと繋がっているのだ。

 食べる事には積極的なイタリアの人達も食文化に対しては全く開かれた外交力を発揮せず、ナショナルチームもお抱えのコックさんだけではなく、特製のオリーブオイルも持参で世界に出向くあの傾向は、デリケートな胃にはなるべく過度な負担をかけないのが無難という、長きに渡る歴史から学んできた結果なのかもしれない。

 でもやはり、言葉の通じない海外で美味しくその土地の料理を食べるという事が、いかに接する人々とのコミュニケーションとして、素晴らしい効力を発揮してくれるのかと思うと、まだまだ私は自分の胃袋には頑張ってもらいたいのではあるが…

 そんなことを思いながらも、気がつけば梅干しとカツオだしのお茶漬けをすすっている今日この頃だった。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。