食のエッセイ

パネットーネとパンドーロ

 師走、12月25日をキリストの生誕日として祝う国々では、この時季限定のお菓子というものが市場に出回る。日本はキリスト教の国でもないのに、ドイツのシュトレンもブッシュ・ド・ノエルも本国よりも美味しいのが手に入るし、近年ではイタリアのクリスマスの風物詩「パネットーネ」や「パンドーロ」までもが、その辺のお菓子屋さんやパン屋さんで売られているのを見かけるようになった。

 日本人は世界の中でも際立って外国語を覚え難い人種と言われているのに、味覚適応力だけはどこよりも傑出している。その証拠に日本には、時には地域別にまで分類された各国の料理屋が普及し、家庭の中でも普通にアジアや中東、ヨーロッパといった諸外国の料理を調理して食べる人達が少なくない。外国語を上手く習得できないコンプレックスを感じるくらいなら、いっそ世界のありとあらゆる味覚を美味しいと感じられる味覚の寛容性とアビリティを、大手を振って自慢しまくっていいのではないかと思う。なんせ多元的味覚への順応は、他の国の人にはなかなか真似の出来ない事だから。

 焦点を世界のクリスマスのお菓子に戻すが、ちなみに私はシュトレンのようなお菓子は、実はそんなに得意ではない。フレッシュであってもドライであっても果物自体が苦手なので、それらが混入しているお菓子そのものが苦手なのだ。だから、イタリアでも私は干しぶどう入りのオーソドックスなパネットーネよりは、何も入っていない、上から粉砂糖をまぶすパンドーロの方が気に入っている。

 パネットーネはミラノが発祥で、生地の発酵にはパネットーネ酵母という、仔牛の小腸から採取される特殊なイースト菌が使われる。パネットーネという名称には「でかいパン」という意味があって、かつてはクリスマスが近づいてくると、各家庭のおっかさん達がせっせと自分たちでこしらえていたらしい。見た目も、ただのでっかい茶色いゴロゴロした素朴な焼き菓子で、クリスマスらしい特異な色気は全く感じられないシロモノだ。

 私がイタリアへ渡った今から30年程前、既に家庭でパネットーネを作るという習慣はその面倒臭さが原因で衰退しつつあり、代わりに市場には、干しぶどうの代わりにチョコレートクリームやカスタードを詰めたり、表面にもチョコでコーティングを施した、ちょっとおしゃれな新参パネットーネが出回りつつあった。プレーンなパネットーネよりも値段も貼るけれど、お菓子屋さんやスーパーマーケットで子供らが羨望の眼差しを絡み付けていたのは、明らかに工夫の利かされたパネットーネの方である。だけど、年配者はこのコテコテのパネットーネを嫌う人達も少なくなかったし、実際高いお金を出して買ってみたところで、中身を取り出してみるとパッケージの写真とは全く別物の、クリームもチョココーティングも申し訳程度にしか施されていないような商品が殆どであった。パネットーネというのは本来素朴な味と粗忽な外観が特徴のお菓子であり、いろいろ着飾ってみたところで所詮は田舎者の成り上がり風情にしかならない実態を、我々は認識せざるを得なくなるのである。

 その点、パンドーロは味も見た目も食べ方も、パネットーネよりも遥かに洗練されている。ドライフルーツなどが混入しない代わりに、潰しのきかない生地はパネットーネよりもきめが細かく、食感もしっとりとしていて、スポンジケーキにほど近い。八角の円錐形も何となくもみの木を連想させ、その表面全域に真っ白な粉砂糖をまぶす事によって、更にクリスマスらしさが際立ってくる。発祥はヴェネト州のヴェローナとされているが、オーストリアが本拠地という説や、16世紀のヴェネチア共和国時代に生まれた、貴族用の高級お菓子という説もあるパンドーロ。名前も「Pan d'oro(黄金のパン)」と解釈できる事から、一般的に振る舞われるレベルのお菓子ではなかった可能性は高い。

  にしても、「でっかいパン」も「黄金のパン」も、今やイタリアにおいては、その有り難みは昔程ではなくなってきている。毎年年末になると、お歳暮のようにこれらを周りの人々にプレゼントするという習慣があるのだが、今我が家にも既に友人や大家さんから頂いたパネットーネとパンドーロが合計4個も積み重なっている。これだけ増えると如何せん食傷気味になってしまい、いくらクリスマスであっても、あまり率先して食べたい気持ちにはならない。仕方が無いから姑の家へ2個程持って行ったら、「あら、私もそっちに持って行こうと思っていたのに…これ以上増やさないでよ」と台所に折り重なる様にして置かれている大量のパネットーネを見せられた。おそらく今回も我々はこのお菓子を来年の3月くらいまでは食べ続けることになるので、本当の事を言うと、もうこのお菓子からはクリスマス限定の情緒感というのを感じられなくなってしまった。きっと多くのイタリア人達が同じ感慨を抱いている事だろう。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。