ヤマザキマリの「世界を食べる」

イタリアを拠点とし世界中を飛び回る漫画家、ヤマザキマリ氏が、食に関わるテーマでエッセイを連載します。→ ヤマザキマリ プロフィール

ワイン

 ワインの歴史は今から七千年も前に溯る。そんな大昔から人々はこの葡萄から摘出されるアルコール飲料に心と味覚を魅了され続けているが、オリーブ・オイルと同様に、ワインは地中海世界で生まれた不屈で普遍の食文化と言えるだろう。

 ちなみに、ヨーロッパの人達はワイン・ナショナリストの傾向が強い。イタリア人ならイタリア産の、しかももっと絞れば自分たちの暮らしている地域か、家族や親戚に縁のある地域のものを選ぶし、フランスやスペイン、ポルトガルといったワイン多産国にも似た傾向がある。

 ポルトガルに暮らしていた時は、近所の酒屋やスーパーマーケットのお酒売り場に置かれていた8割がポルトガル産のワインだったし、個人商店で数本だけ置かれていたスペインのワインが気になって買おうとしたら、「ポルトガルに居るのにスペインのワインなんか飲むな、それはスペイン人の観光客用だ」と店主の親父に忠告され、薦められたアレンテージョ地方のワインと取り替えた。スペインでも同じく、街中の酒屋には隣国であるはずのポルトガルもフランスのワインも置いていなかった。かつて夫の実家に帰省する際、何本か美味しいと感じたポルトガルワインを持って行った事があるが、棚にいったんしまわれたそれらのワインが実際に飲まれたのはその数年後、いつものを切らしてしまって止むを得ず、という流れによるものだった。

 その夫の実家にフランスから訪れた客人が持ってきたボルドーの名酒は、さすがに皆珍しがって飲みたがり、その時点では盛んに「これは噂通り美味しい!」などと口にしていたが、客人が帰ったとたん「でも本当は…あれより絶対この地元の〇〇のほうが美味しいよな…」等と小声で漏らしていた事もある。私的にはボルドーの名酒の方が〇〇より遥かに美味しかったのだが、彼らのワインに対する保守性の徹底ぶりは、我々日本人やアメリカ人のような、多国籍食文化受け入れ型にはかなり信じ難いものがある。

 二十年前、イタリアから一旦日本に帰国した私はイタリアンやフレンチのレストランで、こじゃれた服装に身を包んだ日本人達がワインの注がれた高級そうなグラスの脚を、すっと伸ばした人差し指と中指の間に挟み込み、ぐるぐる回しながら飲んでいるのを見て唖然とした事があった。それまで暮らしていたイタリアの自分の周りには、その辺で買って来た一本数百円のワインをコップに注いでがぶがぶと飲んでいる人達しかいなかったので、そんなお上品で凝った飲み方を目にした事など皆無だったからだ。知らない間に日本の人たちがヨーロッパのハイソな食習慣を身につけていた事に戸惑いを覚えつつも、同時に日本人の異国の食文化に対するボーダーレスな好奇心や積極性に感心を覚えもしたのだった。自分たちの地域の生産品に拘り続けるイタリアの人達の間で、例えば“利き酒”が流行する日が来るとはとても思えない。

 ただやはり、ワインというのはどの国の人にとっても一度その深くて果てしない味覚の世界に入り込むと、簡単には抜け出せない魔性を秘めた飲み物である事は確かだ。かつてレストランのテーブルの上でグルグルとグラスを回していた人達の舌も、日本人でありながらきっと今では一口飲んだだけで、どんな品種でつくられた何処産のワインかもある程度判断できるレベルで肥えていることだろう。

 ところでワインの地域的特徴に対する嗜好の傾向というのは、欧州の国々が今のような具体的な境界線で仕切られるより遥かに以前の古代から見られたもので、その頃からワインは既に恰好の蘊蓄の素材となっていた。他の食材や香辛料であればどんなに遠くの、どこにあるかさえ解らぬ属州から運ばれてくるものであっても受け入れられたが、ワインに関してはそうはいかなかったようだ。

 古代ローマ時代はギリシャの葡萄品種が最高のものとされ、イタリア半島内でも広範囲に渡って栽培されていたらしく、その生産量は本国を上回っていたという。現代で言えばカベルネやメルローといったフランスの品種の葡萄が世界各国で作られていて、それを原材料にそれぞれの国のワインとして加工されるのと全く同じ要領である。

 そんな葡萄から醸造されていた数あるワインの中でも、皇帝などの貴族達も好んだとされる最も有名なものはファレーリ産で、熟成には十年から二十年の期間を要していたとされる(ちなみに二十年を越えたものは吐き気を伴う程不味かったらしい)。その他のワインについてもそれぞれの特徴が記録として残されており、酸味があるとか土臭いとか、とろみがあるとか、現代の人間とほぼ変わらぬ味覚の解釈を施しているのが興味深い。アルコールの持つ麻酔性は既に当時の医学において危険なものとされていたにも関わらず、排除されるどころか執拗とも言える程の拘りの意識を人々の中にどんどん増長させていったところに、ワインの持つただならぬ力を感じずには居られない。

 博物学者プリニウスはこんな事を書き残している。
「人間が生活する上でワインを造るとき程賢明に働く事は無い……これほどの仕事、これほどの労苦、これほどのお金がワインに注がれる。ワインを飲めば精神が錯乱し、気が狂う事になるというのに……それでもワインには魅力があると見られていて、大部分の人間はワインを生き甲斐にしている…」

 全能の神であるユピテルの太腿から生まれたバッカスが酒神として司る限り、人間がこの至高の飲み物から感心を背く事はおそらくこの先も不可能だろう。考えてみたらキリストですらワインの消費を神聖化させてしまったほどなのだから……

ヤマザキマリ

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり) 氏

漫画家。1967年東京生まれ。
84年に絵画の勉強のためにイタリアに渡りフィレンツェの美術学校で11年間油絵を学ぶ。
その後中東、ポルトガル、シカゴを経てイタリアに在住。
『テルマエ・ロマエ』で2010年漫画大賞、手塚治虫賞短編賞受賞。
他に『ルミとマヤとその周辺』『モーレツ!イタリア家族』『ジャコモフォスカリ』『世界の果てでも漫画描き』など。
現在は講談社で『スティーブ・ジョブズ』新潮45で『プリニウス』連載中。