食のエッセイ

甘さとイタリア男

 イタリア男どもの甘い物好きは、他国の男性とは恐らく比較にならないレベルではないかと思っている。私の周辺にいる男性達で甘い物が嫌い、食べられない、という人はかつても現在も独りも存在しない。これからのシーズン、イタリアでは大量のジェラート(アイスクリーム)が消費されていくことになるが、街を歩けばその佇まいのどこからもスイーティーな雰囲気など感じられない、ガタイの良い髭面のオヤジや、ほんの僅かなスキも無い頭の上から足の先までおしゃれをしたビジネスマン風の人までが、道端でジェラートを美味しそうに頬張っている姿に出くわす。しかも、血糖値を上げている時のイタリア男達の顔は緊張感の糸が一斉に弾け飛んだような、心底から幸せそうな緩いものになる。

 勿論男性達だけが甘味を殊の外嗜好しているという事はなく、イタリアでは老若男女、全ての人々が甘い物には目がないわけだが、そんな彼らの糖分の摂取は朝目が覚めた時から開始される。

 イタリア式朝ご飯というのは、至って簡素だ。エスプレッソかそれに牛乳を混ぜたカフェラッテかカプチーノ、そこにスプーンに何杯もの砂糖を投入する。それを飲みながら、一緒に食べるのは甘いビスケットか、ジャムやヌテッラというヘーゼルナッツのチョコクリームを塗ったパンやラスク。もし冷蔵庫の中に甘いケーキの残りでも入っていれば、それが朝食として優遇される。家ではなく外のカフェで立ち食い朝食で済ませる人達もかなりいるが、彼らもやはり珈琲に、中にクリームが入ったクロワッサンや小さなケーキを食べる。イタリア人達にとって朝食というのはお腹にその後費やされるエネルギーの元を供給するという意味ではなく、血糖値を上げて目を覚ます、という意味合いのもののようだ。

 私も若い時からイタリアに暮らしているせいで、日本に居ても朝食は紅茶と甘いもの一口、という習慣を保ち続けている。でも良く考えてみると、この朝ご飯の食べ方はどこか原始的で、食で空腹を満たすというより、味覚に対する好奇心や知的触発のためにも楽しんでいた、古代人達を思い起こさせるものがある。

 ちなみに古代ローマ人達の甘味好きは、広大な帝国の属州各地においても有名であり、しばしそれがからかいの種にもされてきたらしい。サトウキビがたまに南方からの船に積み込まれて届く事はあったが、まだそこから砂糖を抽出するという術を持っていなかった。サトウキビが砂糖として精製されるのは、中世になってからの事。それまでの主な甘味料といえば蜂蜜と果実から作られるシロップだ。彼らはこういった甘味を魚醤などと一緒に通常の料理にも大事な調味料として使っていたので、古代ローマの食事というのはかなり甘ったるいものだったに違いない。それどころか、ワインにも彼らはたっぷり蜂蜜を入れて飲んでいたというのだから、一日の甘味摂取量は半端の無いものであった。

 そんなわけで、甘い物を絶やすと忽ち機嫌が悪くなったり、落ち着かなくなる甘い物依存のイタリア人達を見ていると、二千年以上もの時を経て、的確に古代ローマ人達のDNAを受け継いでいるのだなとしみじみ感心してしまうのである。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。