西江雅之 × 東陽一 対談 「食で思いを巡らせて」

文化人類学者で言語学者の西江雅之氏は、今まで世界中をめぐって、様々な文化に接してきています。一般の旅行ではとうてい想像もできないほどの、多様な伝統や習慣の実体験をしてきたその西江氏と、映画監督として長いキャリアと数多くの作品を手がけてきた東陽一氏のお二人に、「食べる」話を中心に語り合っていただきました。 (写真:左・西江雅之氏 右・東陽一氏)

第3章 バクとゴキブリと食文化

今までの話を聞くと西江少年は、普通には生きにくい人じゃなかったかと思いますね。もし病弱だったらもっと早く死んじゃったかもしれないし。
西江
そうですね。体が強靭という事ではなくて、普通の健康状態をたもっていました。そんな体に生んでくれた親に感謝ですね。とにかく、いろいろ食べてみました。チョウチョは、食べてみてまずかったし、セミの体は肉がないし。
司会
一度も食べたことのないものを食べるとは、どういうことなんでしょうね。意思というか。
西江
ぼくの子供の頃は、味ではなく、食べられるかどうか、それだけでした。味覚ではない。だって当時美味しかったなあと思ったのは、それこそ給食で初めて食べたコッペパンしかない(笑)。
司会
東さんも色々なところに行っていると思いますが、西江さんは文化人類学・言語学者として、一般の人がなかなか行けないところに訪問されています。現地で食べもので困ったことは?
西江
ぼくは現地で困ったことはないです。その場で食べられるものを探していると、それは土地の人々が食べないものなので、どこに行っても、変わっていると土地の人々に言われます。

文化人類学に関わっている人の多くは、現地に行くとそこの人達と同じような服装をしてそこの物を食べてみる、ぼくはそういうようなことはまったくしないです。どこかの村に行っても自分が食べたいものを選んで食べる。
普通、文化人類学者といえば、どんなところに行ってもそこの土地のものを食べてそこで同じような生活をするんだろう、と一般には思われてるんじゃないですか。
西江
ぼくは村に行って、装いも食べ物も、自分なりのものです。村の人とは違うものを食べているから「野蛮人が来た」と思われているかもしれない。そうでなければ変人扱いされます。
それはとても大事なポイントですね。自分の直感ですか。
西江
そうですね。東南アジアとかに行く人には、せっかくこの国に来たのだから屋台に行くとかあるでしょ、ぼくは一回も行きません。よくわからないものは食べない。ぼくは海外でお腹を壊したことはないんですよ。ぼくの目安は、素材そのものが見える、例えば肉の塊など。
面白いですね。生き物の形が、名残として残ってないと食べないということですか。
西江
そうです。小さく切って、色々な素材と混ぜるようなものは、良くわからない土地では絶対食べない。だから実は、フランス料理や京都料理も、それが与えられた場でもない限り食べない。(笑)
それは何なんでしょうね。
西江
それは煎じ詰めれば、とにかく疑ってみるという忍者の思想ではないかと(笑)。
司会
現地で強要されるときはないのですか?
西江
あります。でも食べない。食べた振りをしてごまかしてしまうときはあるのですけれど。
司会
液体、お酒の類も出ますよね。それらは飲まないのですか?
西江
何で作っているかが見える場合は、飲みます。奥地とか秘境とか言われる土地では、まさかカクテルは出てこない。芋だとかバナナだとか、そんな材料だとはっきりわかれば飲みますよ。
それは本能みたいなものですかね。何でも食べるみたいだけれど、実はかなり選択をしているということですね。巧妙です。
でもそれにしても、日本人があまり食べないものを、食べてきたでしょ?
西江
野生動物は、かなり食べています。キリンから象、シマウマ、ワニ、アナコンダ、トナカイ、アルマジロ、イタチ、ネズミ……。 本当に何でも食べました。考えられないくらいの種類を食べています。
味はどうなんですか。
西江
もちろん、あります。
どれが美味しかったですか。
西江
それはね、ぱっと思い出して、あれが美味しかったというのは、ギアナで食べたバク。
バク?
西江
冗談ですが、ぼくはバクの肉をいっぱい食べたから、それ以来、夢も希望も無くなったんだと……。バクは夢を食べる動物だと言われていますからね。バクの肉は焼いて食べました。

あとはアルマジロ。可哀想なことに中の肉を取って、ひっくり返して焼いて、アルマジロは自分の背中がお皿になってしまう。
「食えるもの」と その民族の「食べもの」との違いというのは、やはりとても大きい問題ですね。
西江
10年くらいぼくが主張していることのひとつに、飢饉のときに文化の違う地域に何か食べ物を送るということに反対をしていることがあります。例えば、日本では卵は食べ物なのですけど、それは食べ物ではないという土地がある。そんな所に、卵を送ったらその国はどう思うか。

極端な話をすれば、日本で災害が起こったというときに、ゴキブリを蛋白質源として食べている土地から、大量にゴキブリが送られてきたらどう思いますかということです。

ゴキブリは栄養学的にも実証されるし、味も美味しい。でももし、日本にそれが送られてきたらどうするか。例えば、今内戦で困っている地域に、宗教上の理由で食べないものを知らずに送ったらどうなるか、豚肉を食べない土地、牛を食べない土地、国や地域によって「食べる」ということには全く違った意味がある。

「食べ物」というのは文化の話であって、安心して「食べる」ことと、毒にはならずに「食べられる」ことは全く違う。人間が食べられるものは、ものすごい数がある。ただしその多くは「食べ物」ではないのです。

この話は、何度もあちこちで話をしているんですが、なかなか分かりにくいようです。好き嫌いの話ではなく、その地域に生まれて育った人間が一般的に「食べる」ものと、人間全般が命を失わずに食べられるものというのはイコールではない。トマトが嫌いとか、そんな話とは別です。世界の食料問題の中心は、「食べる」ものと「食べられる」ものをごっちゃにすることで複雑にしています。
ぼくは昔、シリアに行ったときに、みんなと同じ食事をしていたんですが、ぼくひとりがひどくお腹を壊した。みんなと同じものを食べてるのに。どう考えても、ぼくは変なものは食べていない。シリア人が食べているものを食べている。それなのに、ひどい状態になるわけ。それで思ったのは、今の日本人は「滅菌」されすぎているんじゃないかということですね。 雑菌に対して抵抗力がなくなってるように思います。
西江
学生なんかも、あちこち旅行に行ってお腹をこわす。理由は簡単ですよ。せっかく珍しい土地に行ったのだから、屋台で食べようとか現地のものを無防備に食べる。ぼくは、出かけたときこそ、神経質になって、そうしたものは食べないからお腹を壊したことがない。場所によっては水を一切飲まない。もしその土地にあるのなら、コーラやビールを買って飲む。もっと別の言い方をしたら、アフリカの砂漠などにすごく綺麗な水があったとする。それは絶対飲まない。なぜかというと、ボウフラも何も生きていないような綺麗な水だとしたら怖い。そういう感覚が身についてしまっているので、外見だけから判断して飲み食いすることはありません。また、おいしそうな名前だけから、何かを食べるということもありません。
さすが、 生き延びる方法をよくご存じですね。

今日は全体として西江雅之講義録みたいになりましたけど、機会があればまだもっといろいろお聞きしたいところです。

西江雅之(にしえ・まさゆき)氏   1937年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。
プロフィール

東 陽一(ひがし・よういち)氏   1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。
プロフィール