西江雅之 × 東陽一 対談 「食で思いを巡らせて」

文化人類学者で言語学者の西江雅之氏は、今まで世界中をめぐって、様々な文化に接してきています。一般の旅行ではとうてい想像もできないほどの、多様な伝統や習慣の実体験をしてきたその西江氏と、映画監督として長いキャリアと数多くの作品を手がけてきた東陽一氏のお二人に、「食べる」話を中心に語り合っていただきました。 (写真:左・西江雅之氏 右・東陽一氏)

第2章 生きるための塩、ごちそうの砂糖水

司会
甘いものは世界中、誰でも好きだと思いますが、甘いものの話をしていただければ。
西江
世界には、実は甘いものがほとんど存在しないところがあります。でも塩のない世界はありません、不思議なことに、どんなところに行っても岩塩のようなものか、類似するものがあります。例えばニューギニアの内陸部では、大きなバナナの葉っぱを大量に燃やして、そこからスプーン2杯くらいの塩をとっているとか、人間は塩がなくちゃ生存できませんから。
象でもライオンでも、みなそうですよね。塩のありかを知ってるみたいですね。
西江
日本やアメリカ、ヨーロッパでは狩というと、銃を持って山などに出かけることを言いますけど、アフリカでは一日の中での動物の行動はしっかりしている。時間帯内でどうするかという行動がぴっちりしている。寝坊するライオンはいないし、変な時間に散歩に行く象もいない。例えばサバンナに水溜りがあるとする、夜明けになればシマウマ、ライオンなどが水を求めたり、塩を舐めているわけです。狩りはその時刻に、定まった場所に行けばいい。塩気のあるところに動物が集まって体内に塩を補充しているんです。東アフリカのスワヒリ語の表現では「あの人は塩をたくさん食べた」というのが「長生きした」という意味になります。
奥深いですね。一方日本語で「甘い」という言葉は、「うまい」と同じように使われていたという説を聞いたことがあります。
西江
それは、ぼくははっきり言えませんけど。
ある方言学者の説では、今でも「うまい」ことを「甘い」と表現する地域があるそうで す。
西江
それはあるかもしれない。面白いのは、「甘い」とか「うまい」という単語には「やや手抜きの」とか「少々、ずるい」という意味、「からい」には「苦しい」とか「きびしい」という意味が重なることですね。
ぼくが書いた原稿ですけど、黒澤明の『七人の侍』で百姓が、この飯を食わせるから助けてくれと言ったときに、飯を食わせるだけじゃダメだという話のあと、だが「この飯はおろそかには食わんぞ」と志村喬の島田勘兵衛が言って受け取るわけです。そこでは描かれていないのですが、彼らは箸を持って歩いていたはずだけど、ただその時、 塩を持っていたかどうか、それはちょっとわからないんだけど。
西江
それは重要なことですね。
箸と塩さえあれば何とかなっていけたかと。ともかく塩がないと生きていけない。
西江
塩分は重要ですよね。甘いものは、必ずしもそれなしには生きられないというものでもない。甘いものは草か葉っぱか花の汁を吸っていたりすることはあるでしょうが。
甘いものに飢えたことはないですか。甘いものの誘惑というのは強いものだと思いますが。甘いものはすぐに脳に効いてきますから、知らないうちに採っているんですね。脳の栄養はブドウ糖しかないわけですから。知らないうちに採ってるんでしょう。
西江
甘いものに飢えたということもないけれど、ぼくは何が一番好きですかと聞かれたら「クリーム あんみつ」と答えを決めています。本当は、この十年間、1回くらいしか食べたことがないのですけど。

当時、吉祥寺に何もない頃、駅の側にある甘味屋さんにひょっこり入ったことがあります。それは大学に入った頃でしたか、初めは誰かと入ったと思うのですけど、おじいさんとおばあさんがそこであんこを作っていて。それから吉祥寺に行くとクリームあんみつを食べるようになりました。それから1年2年と経って、皆の前で好きなものをクリームあんみつだと言ったら、まわりが笑うんですよ。お店に入ったら、女の子ばかりでしょうって。
司会
でも好きだってことですね。
西江
だからと言って、今も食べているわけではないんですけど。
ぼくの少年時代でいうと、少年も家内工業を手伝わなければいけないんです、力仕事も中にはありました。そうすると、真夏にね、重労働で汗をたらたら流して、何が欲しいかと言ったら、砂糖水が欲しいんです。砂糖をコップのなかにババっと入れて、井戸水をザブっと入れて混ぜて、それを飲んだら元気が出てくる。アイスクリームなんて食べたのはずっと後の、高校生くらいだから。
司会
塩水ではなく砂糖水なんですか。
もちろん、砂糖水が最大の栄養源。塩分は「塩鯖」なんかで充分攝っていた(笑)。
西江
ぼくも経験あります、砂糖水。特に角砂糖というものがあることを知った時は、感激しました。
とにかく砂糖水はご馳走だったんです。あと、最高の甘いものというと、年の暮れにこれも父と母が協力して作る「漉し餡」ですね。長時間かけて甘く煮込んだ餡を、正月のためについた餅にまぶして食べる「餡ころ餅」。これは今思い出しても生唾がでてくる。
西江
ぼくが甘いもので覚えてるのは、東京に帰ってきて進駐軍が来たというと友だちたちがジープを追いかけて、「ギブミーチョコレート」と走っていったことですね。ぼくは追っかけなかったけど。チョコレートを食べたのは、戦後5〜6年くらいしてからだと思う。
ぼくは生まれて初めてチョコレートを食べたのを覚えています。昭和20年、兵隊で帰ってきた人達はリュックに荷物をいっぱい詰めてくる。村だから、みんなに分けてくれる。その中に、うちでもらったのは石鹸みたいな大きさのチョコレートの固まり。それが生まれて初めてのチョコレートです。みんなで割って食べて、口に入れたとき「世界にこんな旨いものがあるのか」と思いました。本当に美味かった。
西江
ぼくの場合は、給食に出たコッペパンでしたね。
それと比べるなら、ぼくは、アンパンですかね。こういうものの記憶は、どこで育ったかという地域差と、その時期の3歳の違いは、けっこう大きいですね。
西江
ぼくは人間として目覚めたのが4歳くらいでした。先ほどアメリカ兵の話が出ましたけど外国人の変なおばあさんが、うちの玄関の前にイヌを連れてきて、どういうわけか玄関のところでおしっこをさせて、その時に、「イッヒホッホ」と変なことを言っているわけです。不思議な人間もいるもんだと。
イッヒ、というとドイツ人ですか。
西江
子供にはわからなかった。後でドイツ人だと教えられたんですけど。

とにかく、そのドイツ人が何かわからないことを言っているわけです。で、ぼくはその声の後ろに何かはかりしれない世界があるのではないかと。

ちょうどその頃にアメリカ人の宣教師が来て、ぼくは可愛がられるようになったんですが、ぼくは英語がわかるわけではない。その宣教師は、電話で何か真面目な顔をして声を出して話していたり、ニコニコしながら声を出して話している。その声の後ろには、ぼくの知らない未知の世界があると思っていた。それがぼくの「言語」の始まりです。しゃべっている言葉の背後に、自分が知らない大きな世界があると。
とても鋭い少年の感受性ですね。
西江
スズメやネコの声の背後にあると思えたのと同じの未知の世界に呼ばれたのです。でもその心は、身のまわりの家族には通じなかったみたいですね(笑)。

西江雅之(にしえ・まさゆき)氏   1937年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。
プロフィール

東 陽一(ひがし・よういち)氏   1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。
プロフィール