食のエッセイ

会津の身知らず柿

 私は少年時代から、日本でもっとも美味な柿は富有柿だと思ってきた。この柿の果肉のなめらかな触感、品の良い甘さに感心したことがあったからだ。
 ところが、である。処女長編小説『鬼官兵衛烈風録』(現在、日経文芸文庫)を書くことになった昭和の末から主人公佐川官兵衛の生誕地である福島県会津若松市へ通ううち、会津には「身知らず」という大粒な柿があり、晩秋の贈答品として人気があることを知った。
 この柿は、こんなに実をつけては幹や枝から樹液が失せてしまうのではないか、と心配したくなるほど身のほど知らずに大量の実をつけるので、身知らず柿、ないし会津身知らず、などと呼ばれるのだ。
 会津でこれを一箱買おうとすると、前垂れ掛けにタオルの鉢巻姿の親父さんが店の奥からあらわれ、きれいに収納されている柿のヘタにささっと焼酎を降り掛けてくれる。そして指折りかぞえ、箱蓋に約一週間後の日付を、
「開け日 △△日」
 とマジックインキでおごそかに書きつけてくれる。身知らず柿は渋柿なので、焼酎で渋を抜く必要があるのだ。
 周知のように会津若松市は幕末までは会津藩の城下町であり、会津藩は薩摩・長州両藩が武力をもって挑んでくると、果敢に戦って滅びるみちをあえて選択した藩である。渋が抜けてもまだ甘みの乗っていない身知らず柿をさくりと噛むと、人によっては身のほど知らずだったと感じるかも知れない会津藩の歴史と身知らず柿の清烈な味とがダブル・イメージになり、私などはなぜか溜息をつきたくなってしまうのだ。
 身知らず柿の特徴は、味がさっぱりしていて噛んでいるうち口内に清涼感がゆきわたる点にある。毎年これを食することが楽しみになった私は、平成になってからは会津の農園と契約してあちこちに一箱ずつ送ってもらうことにした。
 するとこれを喜んで下さったおひとりに、名作『東京新大橋雨中図』(文春文庫)によって直木賞を得た杉本章子さんがいた。5歳年上の私を兄上と呼んでくれる杉本さんは、身知らず柿が届くと福岡市の自宅から電話してきて、
「今年の開け日は××日です」
 と報告して下さるのを常とした。
 しかし、今年から杉本さんには身知らず柿を送れなくなってしまった。昨年12月、杉本さんが静かに世を去ってしまったからだ。
 発注先の農園にファックスする送付依頼リストから、杉本さんの名前を消すのが哀しい。そうつぶやく妻に、私は黙ってうなずくしかなかった。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。