何処に行っても地球は我が家

第1章 わたしと中国食

「地球は我が家」などと大げさな題を掲げたが、実際のところ、わたしの場合、正しい意味での「我が家」はこの地上には存在しない。

十代の後半からは、わたしは、世界各地を点々として生活を続けてきた。行く先々で寝泊まりし、日々を過ごしているだけである。その滞在は、わずか二、三日だけということもある。場合によっては何ヶ月、一年以上にわたってということもある。長期にと言っても、同じ場所に何ヶ月もじっと留まっているだけということはない。そこから世界各地に向けて、繰り返し出かけることになる。正しく言えば、我が身の生活維持のための仕事の関係で、出かけなければならないという事情があるのだ。

たとえば、2010年代に入ってからだけでも、一年間に18回も日本から海外に出た年があった。地球上、そして日本国内、東西南北、各地での個人的な調べ物や、その土地での講演などをこなすためである。わたしは、言語、文化、芸術といった方面に関心があり、その関係で、多方面から参加の声を掛けられてきたので、そんな移動生活が重なったのだ。

このような前口上をする必要を感じたのは、わたしが世界各地に出かけていることを、わたし自身が金持ちか、または金持ちの息子かで、暇を持てあましている身分なのではないかと推測されることがあり得るので、その誤解を取りあえず解いておかねばならないと思うからである。それどころか、東京の借家から成田空港まで自費で行くことすらままならない。そうした生活がわたしの日常なのである。
ころで、「地球は我が家」などという表現には、いくつかの意味がある。その一つは、そこが自分自身が所有する場所であるという意味である。また別には、そこは自分が実際に接している生活圏内であるという意味だ。この連載の場合、「我が家」の意味は後者である。すなわち、実際に自分が訪れ、その土地の人びとと何らかの関係を個人的に持ったことがある場所だということで、自分の私有地のことではない。さらに「我が」という言葉には、「わたし一人の」という場合と,「わたし達の」という意味がある。「我が国、日本は…」などと言うのはその例だ。

このように考えて、「地球は我が家」ということを、自分が実感を持って接している世界として捉えてみると、まず、わたしの頭に浮かぶのは、「中国」と「中国人」の場合である。まさに、中国人と呼ばれる人びとにとって、地球は「我が家」なのである。地球上「何処に行っても」と言っても過言ではないほど、中国人の姿が地球上に散っている。

その人びとは中国からの旅行者ではない。その土地での生活者として何代も生きてきている中国人なのである。彼らは,そのほとんどが、二世、三世、四世といった中国系の人びとだ。中国語はおろか、自分の祖先が、中国のどの土地の出身者なのかすらおぼつかない人びとも少なくない。もちろん広大な中国であるから、二世、三世の中には、中国と言っても親の出身地がまるで異なり、親は話しても互いに通じないという方言の話者である例もある。そうした結婚も珍しくはないからだ。また、顔つきが中国人とは,やや異なる人びともいる。住み着いた土地の人との混血も少なくないからである。それでも、名前を知れば、ジャック・チンとか、マリアンヌ・リーとか、マリア・カーとか、ボンボコ・ホーとか、カク(クオ)太郎とか、国によって名前の方は変わっていても、苗字の方は変わっていない人物が少なくないので、その人物が中国系であることはすぐ分かる。
間として生存に最低限度に必要なことは、命や呼吸を除けば「食べて、出す」ということだ。この際、「出す」方の話はひとまず脇に置いておこう。わたしの場合、言語や文化を研究するという本来の仕事で滞在する場所には、その国の僻地、奥地とされる所で、そこには食堂はおろか、店などというものも存在しない。その国の人も、そんな場所に行こうなどとは思わない土地である。その辺鄙な目的地には、日本から直接に入り込むなどということは不可能だ。言うまでもなく、まず、その国の国際空港に着き、その国の首都や近郊の町に宿泊し、それからおもむろに目的地に入る。また、目的地に滞在中に、必要な用事が出てきたならば町に出てくる。

町にでるような機会に、まず足を向けるのが、市場、そして次に中国人が何かを料理してくれる店なのだ。実際、わたしの長年の移動生活での体力回復や元気づけは、中国人が作る食べ物のお陰だったと言ってもよい。その種の食べ物を出してくれた数多くの中国人は、大げさに言えば、命の恩人なのである。

わたしが、ここで「中華料理」という単語を使わないのには理由がある。「中華料理」などと言えば、何か特別に高級な食べ物を思い出したり、その土地では多少は名が知られた飯店のレストランで出される料理ではないかと勘違いされると困るからである。もちろん、わたしも香港や北京、上海、それに中国色が強いシンガポールなどで、豪華な中華料理に招待されたこともある。しかし、わたしが各地での日常生活で味わうのは、街の食堂(屋台を含む)どころか、小さな小屋の薄暗い隅で、慣れない手つきで主人が用意してくれる中国風の食べ物の場合もあるのである。

そうした意味も含めて、わたしほど世界各地で、種々様々な中国料理を食べたことがある人物に出会ったことがない。まず、世界各地に「中華街」とされる場所があるが、そのほとんどでも食べ歩いている。その経験を持った数十の国々の名を挙げるのは大変だ。大ざっぱに言えば、ヨーロッパ諸国、アメリカ・カナダ諸地方、中国色の強い東南アジア諸国は当然である。インド洋のモリシャス、レユニオン、オセアニアのタヒチ、ニューカレドニア、バヌアツ、それにパプアニューギニア、カリブ海域のキューバ、プエルトリコ、ジャマイカ、ハイチ、マルチニーク、グァドループなど、そして南米のギアナ、アフリカでは、ケニア、タンザニア、モザンビーク、さらに南アフリカなどなど。このようなことを詳しく挙げていけば、紙面の無駄となるだけだろう。

このような経験があるので、わたしは中華料理の通(つう)ではないかと見なされるかもしれない。しかし、すでに触れたように、わたしは世界各地に赴いて、特別な中華料理を食べ歩いてきたわけではない。確かに値段や味で最高から、最低、番外までといった中国食を食べてきたという経験はある。しかし、それだけのことなのである。食べた料理の名すら覚束ないが、素材だけは記憶に残されているものもある。台湾南東部にある孤島、蘭嶼(ランユー)島の宿で出されたカエル料理は、まともな物ではなかった。アマガエルほどの小さなカエルが、ほぼ生(ナマ)のまま、薄い光沢があるフニャリとした腹を上に向け、皿に何十匹もドッと盛られて出されたのだ。カエル料理が好きなわたしも、さすがに食欲がわかなかった。カエルといえば、やや高級なデザートとして、雪蛤(シュエハ)というものもある。文字面から見た名前は美しい。しかし、それは乾燥したカエルの卵を戻したものである。まともな料理だと思って注文したら、アヒルの頭だけが何十個も皿に盛られ、「舌だけを引き出して食べなさい」などと言われた例もある。中国人は飽くなき努力を重ねる料理探求者だということは理解できるが、わたしが、そうしたものに夢中になるということはない。
いたい、わたしが中国系の食べ物を選ぶ理由には、個人的な好みもある。しかし、それよりは、中国の料理は、ほとんどの例が熱を通してある。安全で安心なのである。安全というのは、科学的な根拠に基づいて言える客観的な評価である。一方、安心というのは個人的な納得としての評価である。中国系の食べ物は、その両面を充たしてくれる。

また、中国系の食べ物の場合は、まぶした香辛料の味だけで食べさせしまうということはない。各種の素材を混ぜ合わせ、そこから醸し出される味を食べさせる。その素材が何であるかは別問題だ。日本人が食べ物だとは思えない素材だけではない。すでに食べられなくなったような、捨てる寸前の素材を使っても、そこから見事な味の食べ物を作り出すことさえ可能なのである。

素材が何であるかは別問題と言ったが、わたしの場合、それがイモムシの類であっても、犬猫の肉であっても、大ミミズであっても構わない。素材が何であるかが明確であったならば大丈夫というのが、わたしの食生活の基準なのである。たとえば、アフリカの奥地での生活では、ゾウ、キリン、シマウマ、カバ、ダチョウ、トカゲなど、様々なものを食べてきた。また、南米ギアナでは、アナコンダ(大蛇)、大ネズミ、アルマジロ、アグチ(大ネズミ)などを食べて何日も過ごした。すべて、わたし自身が銃や弓矢で射止めた動物ではない。誰かが捕らえ、誰かが料理した物を食べたのだ。そんな食べ物のなかでも、美味しいと思ったのはバクである。バクは、夢を食べるとされる動物だ。その夢を食べる動物を食べてしまったので、以後、わたしは夢を見ることが出来なくなってしまったのかも知れない。

こんな話を始めると、わたしは何でも食べてしまう人間だと思われるかも知れない。しかし、わたしにも自分からはあえて手を出さない食べ物がある。その一例が、動物の内臓を使った料理なのだ。焼こうが、煮ようが、ナマのままだろうが、肝臓のようなものは苦手である。本物の猟師ならば、射止めたばかりの獣の腹を割き、まず、温かい肝臓を取り出してかじりつくかも知れない。しかし、わたしはそんな気にはなれない。
球は広い。しかし、現在の交通手段に話題を絞れば、世界の果てにあるどんな都会まででも、丸1日もあれば充分に到達可能だ。そんな意味では地球は狭い。そのことを食べ物という話題に移せば、地球におけるわたし個人の食生活は、世界に広がる中国食となるが、それもまた豊富で果てしなく広い料理世界のなかでは、狭いものだと改めて考える。

西江雅之「何処に行っても地球は我が家」エッセイ一覧

著者:西江雅之(にしえ・まさゆき)氏

昭和12年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。
主に東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島で言語と文化の研究に従事。多数の言語を話し、土地の人々の生活に容易に溶け込む研究態度で“ハダシの学者”との異名を持つ。
また、現代芸術とのかかわりも深く、美術、音楽活動への参加も多い。教育面では、過去30年の間に東京外国語大学、東京大学、東京芸術大学、早稲田大学などで文化人類学または言語学の講義で教壇に立った。
第二回「アジア・アフリカ賞」受賞(1984)。専門書の他に、エッセイ集『花のある遠景』、 『東京のラクダ』、『異郷をゆく』、半生記『ヒトかサルかと問われても』、対談『ヒトの檻、サルの檻-文化人類学講義』などがある。平成13年11月、JTB旅行文化賞記念出版として『自選紀行集』が刊行された。
また、多くの高校・中学の国語教科書にエッセイが採用されている。平成27年6月14日死去。