「食」のエッセイ あの時あの味

真摯なまなざしで史実を捉える小説家 中村彰彦氏が、「味」について語ります。

韓国の蛤粥、台湾の牡蠣の卵とじ

 平成13年(2001)10月、私が4度目の韓国旅行をしたのは、『オール讀物』編集部のY君に依頼され、「韓国倭城わじょう紀行」を書くためだった(その後『歴史浪漫紀行 座頭市から新選組まで』<双葉文庫>に収録)。韓国にいう倭城とは、豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵した文禄・慶長の役(1592—98)の間に、日本軍が各地に築いた日本式城郭を意味する。
 ともかく旅は順調に進み、10月17日、私たちは慶尚南道泗川しせん市龍面船津里ふなつりにある船津里城(韓国名、泗川船津里倭城)を訪ねたと思われよ。着いたのが昼の12時半過ぎだったので城歩きをする前に昼食を摂ることになり、私たちはガイドの宋良順ソンヤンスン女史の案内でさる料亭に入った。
「ここの名物は蛤粥はまぐりがゆです。とてもおいしいですよ」
 という宋女史のことばに従って蛤粥をオーダーすると、少しして2階の座敷に運ばれてきたそれは、16年経った今でも忘れられないほど美味であった。
 粥は単なる薄塩の何の変哲もない粥なのだが、中にたんと入っている蛤の剝き身が、何としじみよりもはるかに小さい稚貝なのだ。微小ながらつぶつぶとしていて触感はなめらか、品の良い味わいには思わず唸った。
 まだ独身のY君も夢中で食べていたが、ああ、そうか、と私は途中で思った。日本では各地の漁協のルールで稚貝は採ってはならないとされている。だからこの蛤粥は、わが国では禁断の味なのである。
 城を回ったあと南にひらいた晋州しんしゅう 湾を眺めると、ちょうど引き潮時で地元のおばさんたちが浅瀬に入り、潮干狩そのものの作業に熱中していた。この入江の特徴はあちこちに竹の柵が立っていることで、干満の差の激しい当地では、潮が引くとこの竹の柵にイリコ(小鰯)や蛤の稚貝が引っ掛る。
 これらを採るのを竹防チュッパン 漁労法というそうだが、そのうち稚貝がまったく採れなくなったらどうするの、という気がしないでもなかった。    その後出かけた台湾の台南市では、牡蠣かきの稚貝を使った料理を初めて食べた。
 これは南の海のこととて小指の先ほどにしか育たない牡蠣を食堂の娘さんが手の先を赤くしてひとつひとつ丁寧に剝いてゆき、2、30個溜まると中華鍋にほおりこむ。そして溶き卵をかければ、「中華風牡蠣の卵とじ」の完成である。
 これは紹興酒にもよく合う味で、たらいの前にしゃがんで一生懸命からを剝いてくれた娘さんの姿とともに今もって忘れられない。
 船津里の蛤粥、台南の牡蠣の卵とじ。
 もう一度あれを味わってみたいものだ、と思いながらも機会を得ないまま歳月のみが流れ、私は若い世代から、
「68歳の誕生日、おめでとうございます」
 といわれるまで馬齢を重ねてしまった。

中村彰彦

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)氏

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。
1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。
1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。
近著に『会津の怪談』『花ならば花咲かん 会津藩家老・田中玄宰』『戦国はるかなれど 堀尾吉晴の生涯』『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』などがある。
幕末維新期の群像を描いた作品が多い。