「食」のエッセイ あの時あの味

真摯なまなざしで史実を捉える小説家 中村彰彦氏が、「味」について語ります。

土曜日の鯖の照り焼き

 私は昭和24年(1949)という日本がまだ貧しかった時代に生まれたからか、少年時代には副食やおやつとしてよく缶詰めを与えられた。
 魚の缶詰めの中身は、サンマ、イワシ、 さばの水煮か味噌煮など。おやつとして出されるのは果物の缶詰めで、ミカンと桃がメインであり、パイナップルのそれなどは、ぜいたく品に属した。
 まだ未就学児童だったころの私は、鯖の水煮を好んだ。骨を外してないのに、その骨までさくりと食べられるのが不思議だったのだ。
 栃木県栃木市、鹿沼市、今市市、ふたたび栃木市、茨城県下妻市、栃木県小山市と父の転勤で移動し、愛知県知多郡大高町へ転居したのは昭和38年(1963)の夏、中学2年の時のこと。油揚げを一枚乗せた醤油味の「きしめん」のつるりとした味わい、「ういろう」や「ないろう」の羊羹とは似て非なる淡白な味などを知ったのは、それからまもなくのことであった。
 大高中学の土曜日の授業は午前中のみ、昼食は帰宅して摂ることになるのだが、このころの私は身長が1年に10センチ近く伸びる成長期にあったため、濃厚な味を好んだ。土曜の昼によく食べたのは、母の料理してくれる鯖の照り焼きであった。これは三枚に下ろした鯖の大きな切身をバターを引いたフライパンに入れて塩・胡椒を多めにふりかけ、表面がカリカリになっているのがベストだった。
 翌年4月に大高町が名古屋市に合併されて緑区大高町となり、町内を走る高架線上を新幹線が走って10月に東京オリンピックがはじまったころ、幼児期の鶏肉アレルギーを忘れ去っていた私は、鶏肉と鯖の照り焼きばかり食べていたような印象がある。
 それから9年、東北大学の文学部国文学科を卒業して文藝春秋に入社した私は、女性社員のひとりと時々デートを楽しむようになった。
 ところが翌年夏、かなりの暑さだというのにその女性は長袖のブラウスしか着なくなった。訳をたずねると、社員食堂で出た鯖焼き定食に当たって腕に水泡を生じてしまったのだという。
 その女性、つまり荊妻と結婚したのは入社3年目の11月、26歳の時だから、早くも42年の歳月が流れたことになる。
 その間われわれ夫婦が、鯖を一切食べなかった訳ではない。特に東日本大震災後は新しい流通ルートがひらかれたらしく、〆鯖は東北産の一段と味のよいものが食べられるようになった。
 それでも荊妻は、私が注文しても鯖の照り焼きだけは作ってくれない。いやこれは「作ってくれない」というよりも、「作りたくない」という心理が働いてしまうのだろう、と私はひそかに考えている。

中村彰彦

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)氏

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。
1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。
1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。
近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』 などがある。
幕末維新期の群像を描いた作品が多い。