「食」のエッセイ あの時あの味

真摯なまなざしで史実を捉える小説家 中村彰彦氏が、「味」について語ります。

ビルマのチキン・ドライカレー

 私がある作家とタイ・ビルマ(今日のミャンマー)へ3週間の取材旅行をしたのは、昭和51年(1976)半ばのことだ。世界最貧国だった当時のビルマは鎖国状態にあり、『旅行ガイド』の類もないままの出発となった。
 その首都ラングーンに何とか到着、ストランドホテルに旅装を解くと、まずはこのホテルのレストランに驚かされた。同ホテルはビルマがイギリスの植民地だった時代に建てられたもので、メニューも往時のものが使われていた。しかし、ボーイの見せるメニューから何かをオーダーしても、「アイ・アム・ソーリー」という返事ばかり。あるのはトースト、フライドエッグ、コーヒーぐらいで、「だったら初めからメニューなど持って来るな」といいたくなった。
 それでもビルマ人には善良な人が多く、私が雨期のこととて雨の降りしきる下町の露店へマンゴスチンを買いにゆくと、下半身にロンジー(ビルマ風の腰巻)をまとった太ったおばさん客が、立派なお尻を揺らしながら品質のいいのを選んでくれたりした。私が「果物の女王」といわれるマンゴスチンのジューシーで品の良い甘みを知ったのは、ビルマでのことだったのだ。
 ホテルからサイカー(自転車のサイドに座席を付けた乗物)を雇ってゆけば10分以内の距離にあるカレー屋も、日本を出てから米食をしていない私には有難味のある店だった。
 店に入ってチキン・ドライカレーを注文すると、中年の店主に奥の水道のところへつれてゆかれ、チビた石鹸で手を洗わせられる。ビルマ人は食事を指ですくって食べる習慣なので、店主は客にはまず手を洗わせるのだ。水道の蛇口の下に洗面台などはないので、この時には足と腰を引いて靴とズボンを濡らさないよう気をつけねばならない。
 この店のチキン・ドライカレーは、直径1.5メートルはあろうかという大釜で炊かれる代物。炊き上がり、店主が一種おごそかな態度で木の蓋を取りはらうと、店内には湯気とともに香辛料の香りがふわりとひろがって味覚を刺激する。皿に盛られたターメリック色のドライカレーの上には、同時に炊かれた鶏の腿が一本ずつ載せられて卓上に運ばれてくるのだ。
 日本国内では放し飼いで育てられる九州の小型の鶏の肉が私の好みだが、ビルマの鶏もことごとくが放し飼いだったから身がよく締まっていて大変おいしかった。
 ちなみにビルマ米は、かつては外米とも呼ばれた長細いインディカ型だった。これは丸くて炊くと粘り気の出るジャポニカ型と異なり、炊いても米粒同士がくっついたりしない。しかし、ドライカレーや汁掛け飯にはインディカ型の米の方がよく合うようだ。
 この店には何度か通ったので、あれから40年以上経った今も、私はミャンマー発のニュースに接するたびにワイシャツにロンジー、ゴム草履姿だった店主が釜の蓋を外す姿を懐かしく思い出すのだ。

中村彰彦

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)氏

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。
1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。
1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。
近著に『会津の怪談』『花ならば花咲かん 会津藩家老・田中玄宰』『戦国はるかなれど 堀尾吉晴の生涯』『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』などがある。
幕末維新期の群像を描いた作品が多い。