「食」のエッセイ 新・映画と食の深いつながり

様々な作品に挑みつづける映画監督 東 陽一氏が映画と深いつながりのある「食」について語ります。

第9章 料理を運ぶきみは最高

ときおり、映画監督志望の「ワカモノ」(男性)たちと雑談することがあり、そのうち、男女関係の話になったりします。
数年前、ある青年と話していて、何か変だな、と感じることがありました。やがて気づいたのは、二十代半ばになる彼が恋愛を話題にするとき、惚れたとか失恋したとかの「感情」について語ることがなく、ヤラせてくれる女だとかヤラせない女とか、「動物的な性的欲望」を指す言葉しか使わないことでした。彼はそれでいいのでしょうが、聞いている方はたまらない。そのときは結局、「そんなんでまともなシナリオが書けるの?」とだけ言って別れました。
まさか現代のワカモノすべてがそうだとは思わないけれど、若い女性作家が、わざと軽さを装うようにして「それから〇〇くんとセックスした」などと、スポーツ・ジムで器械体操でもするように書く文章を読んで、背筋が寒くなったことがあります。

ジェームズ・L・ブルックス監督の『恋愛小説家』は、ニューヨーク、マンハッタンを中心にしたアメリカ人の物語、1997年の作品ということはあるけれど、ここに描かれた一組の男女の「恋愛」関係が成立するまでの経過はなかなかめんどうです。もっとも、男性メルヴィン(ジャック・ニコルソン)は「後期中年男」とでもいうべき世代で、相手の女性キャロル(ヘレン・ハント)も、喘息持ちの息子がいて、昼間はその子を同居の母親にあずけてレストランで働く大人だから、日本の、貧しい言葉しか持たない「ワカモノ」のシンプルさと比べるわけにいきませんが。

メルヴィンはひとり暮らしで、アパートの一室で恋愛小説を執筆しています。でも、書いた文章を自分で音読するのを聞くと、あまり面白そうにも思えない。彼自身は、自分の書く小説よりも、近くのレストランで働くキャロルの方が気になっている様子です。
毎朝、このレストランで食事するのですが、好きな席は決まっていて、だれかが先にそこに坐っていると、嫌がらせを言って追い出してしまう。常連客からも店の従業員からも嫌われているが、キャロルだけは、ずけずけ言いながらも注文をとりに来てくれる。
潔癖症らしい作家は、いつも、パックされたプラスティックの使い捨てフォークとナイフをテーブルにならべて、キャロルが来るのを待っている。彼女以外は相手にしてくれないし、また彼も他の従業員ではいやなのです。朝食はほぼ決まっていて、ある日の注文はこんな具合です。
「卵3個の目玉焼き、ソーセージ2本、6枚切りのベーコンにポテトフライ、パンケーキにコーヒー、人工甘味料」。
キャロルに「そんなものばっかり食べてたらじきに死ぬわよ」と言われてもすぐに言い返す。「人間は皆死ぬ、ぼくもきみも死ぬ、きみの息子だって」
たちまちキャロルの顔がこわばります。じっと男の顔を見つめて、
「今度、息子の話をしたら、二度とこの店に入れないわよ、わかった?」
返事がない。
「わかった? でなきゃここから出てって」
頑固おやじはそれでも黙っている。キャロルはついにたまりかね、「このいかれたバカ男、わかったの!」
追い詰められて、メルヴィンはしぶしぶうなずき、やっと食事にありつけるのです。

こんな風に、キャロルを傷つける言葉を吐き、キャロルが怒る、メルヴィンが詫びる、というようなことが繰り返され、彼女が子供の具合が悪くて店を休んだ日には、だれかに住所を聞いてタクシーでブルックリンのアパートまで駆けつけたりします。
「何しに来たの?」
「きみに朝食の給仕をしてほしい」
キャロルは男を追い出してしまう。
ある日キャロルが帰ると、家に、看護婦を連れた医師が来ていて、息子さんを診察したが、必ずよくなりますよと、今かかっている医師と違うことを言う。彼は、メルヴィンに頼まれて治療に来ました、もう店を休まなくてもいいですよ、と優しい顔で言う。治療費はと聞けばそれはメルヴィンが、というわけです。キャロルは、メルヴィンの「下心」を疑いながらも、その申し出を受け入れる。

こうして押したり引いたりするうち、確かにふたりの距離は近づいていきます。あるとき、夜中の3時すぎに彼女のアパートを尋ねて「会いたかった」という男に、女はわざと、「なぜ」と聞きます。するとまた何かわけのわからないことを言い出すので(そういう不器用な男はけっこう多いのですが)、女は「なぜ普通のボーイフレンドになれないの!」と嘆くわけです。
母親がなんとかとりもち、ふたりは、深夜の、というより早朝の街を歩き始める。そこで、作家はやっと「恋愛小説家」らしく、きわめつけの口説き文句をひねりだすのです。
「テーブルに料理を運んでくるきみは、世界最高の女だ。でもそれを知っているのは、世界中でぼくだけだ。ほかの人間には絶対にわからないことだ」
キャロルは、この言葉でやっとほんとに救われた気持ちになります。当然のことでしょう。ふたりは「抱擁」し、熱い「口づけ」を交わします。
午前4時、すぐそばのパン屋の明かりがついて店が開く。ふたりがパン屋に入っていくところで映画は終わります。
こういう古典的でめんどうな恋愛映画を見ながら、たまには、わたしたちの「うすっぺらな現在」を見返してみるのも悪くないと思ったりしますが、さてどんなものでしょう?

東陽一

著者:東 陽一(ひがし・よういち)氏

1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。早稲田大学文学部卒。
代表作に「サード」(1978年)(芸術選奨 文部大臣新人賞受賞)、「もう頬づえはつかない」(1979年)(第34回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞受賞)、「橋のない川」(1992年)(第47回毎日映画コンクール 監督賞・同日本映画優秀賞受賞)、「絵の中のぼくの村 Village of Dreams」(1996年)(第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)、「わたしのグランパ」(2003年)(第27回モントリオール世界映画祭(カナダ)最優秀アジア映画賞受賞)など。
2010年12月、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を公開。同作品によって、2011年5月、第20回日本映画批評家大賞・監督賞を受賞。

常盤貴子と池松壮亮が主演する最新作『だれかの木琴』が、2016年9月に全国公開の予定。

2009年より4年間、京都造形芸術大学映画学科の客員教授をつとめた。