「食」のエッセイ 映画と食の深いつながり

様々な作品に挑みつづける映画監督 東 陽一氏が映画と深いつながりのある「食」について語ります。

第11章 「こんなんじゃなくて!」

人生に「笑い」は不可欠だけれど、人間はテレビのバラエティを観ながら、いつもへらへら笑って過ごすというわけにはいかない。特に3.11のような巨大な災害に対しては、泣きも笑いもせず、つらい問題にまっすぐ、敢然と立ち向かうしかありません。
でもときどき、「つらい」とか「暗い話」と感じただけで、その場から脱走しようとするワカモノがいたりします。その後ろ姿にわたしが投げかけるのは、批評家加藤周一さんの名言です。批評家はかつて書きました。
「それ自身の暗い部分について語ることのできる社会は、明るい」

映画をよくご覧になるらしい作家の角田光代さんが、加藤さんに近い意味で、「他人と関わることの絶望を描いているのに、見終わって胸に残るのは希望だった」と賛辞を寄せた映画、それが、2004年のバンクーバー国際映画祭グランプリはじめ、世界各国で受賞した、高橋泉監督『ある朝スウプは』です。

開巻冒頭、主人公の一人北川(廣末哲万)が医師に「パニック障害」と診断されますが、医師と本人の声だけが聞こえ、映像は街の人込みと、病院の廊下に立っているもう一人の主人公、恋人の志津(並木愛枝)の姿です。背後のガラスの向こうは、武蔵野らしい欅の枝が広がる美しい風景。この監督の映像感覚の冴えがはっきりと示されるシーンです。
二人が暮らすのは、狭いアパートの一室で、ある朝、明るい窓際で二人が食べるのが「卵かけご飯」。味噌汁から湯気が立ちのぼり、会話は互いの仕事の話。男が病を持っていても、まず平和で平凡な一日の始まりです。

ところが年が明け、在宅でやる仕事をもらった北川が、ある夜帰ってこなかった。翌朝「ただいま」と帰ってきた男の腕に、数珠玉をつないだ腕輪がはめられている。おまけに、知らないうちに運び込まれた安っぽいソファが、窓際を占領している。「こんなもの!」となじる志津に、北川が「この世界にはカルマが噴き出していて…」などと言い始める。彼はある〈セミナー〉に通っていて、その世界に丸ごとはまってしまっていたのです。二人の生活が、ゆっくり狂っていきます。

やがて、あの安物のソファは、二人が一緒にためている貯金から40万円を引き出して〈セミナー〉に買わされたことがわかる。
「こんなんじゃなくて!」と志津が叫ぶのは、その少しあとです。ドキリとする言葉です。

「こんなんじゃなくて!」。
一対の男女が共に暮らして、こんな叫びを心の中に一度も感じないで済む人は、特別に幸福な人でしょう。「他人と関わることの絶望」と角田さんが言ったのはまさにそのことで、これはどんな恋人たちにとっても、簡単に超えられる難関ではありません。
そしてついに来る、別れの朝。北川を迎えにきた〈セミナー〉の男を外に待たせて、二人の最後の朝食の、温かい味噌汁の湯気……。
窓から差し込む木漏れ日が、志津の顔と後ろの襖に映って揺れている。食べながら何気なく志津が話すのは、二人で熱海に行ったときのこと。この美しいカットの中に、作家角田光代さんは「希望」を見たのかもしれません。

それに同感しつつ、一方でわたしは、他人には退屈かもしれない、こんな食事中の日常会話こそが、実は「生活」の中で一番大切な「ことば」なのかもしれない、と思い知らされ、胸を打たれます。まぎれもない、日本映画の傑作のひとつです。

東陽一

著者:東 陽一(ひがし・よういち)氏

1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。早稲田大学文学部卒。
代表作に「サード」(1978年)(芸術選奨 文部大臣新人賞受賞)、「もう頬づえはつかない」(1979年)(第34回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞受賞)、「橋のない川」(1992年)(第47回毎日映画コンクール 監督賞・同日本映画優秀賞受賞)、「絵の中のぼくの村 Village of Dreams」(1996年)(第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)、「わたしのグランパ」(2003年)(第27回モントリオール世界映画祭(カナダ)最優秀アジア映画賞受賞)など。
2010年12月、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を公開。同作品によって、2011年5月、第20回日本映画批評家大賞・監督賞を受賞。

2009年4月より、京都造形芸術大学映画学科客員教授に就任。