「食」のエッセイ 映画と食の深いつながり

様々な作品に挑みつづける映画監督 東 陽一氏が映画と深いつながりのある「食」について語ります。

第9章 「食べられない」人たち

この映画に登場する六人の男女は、「料理にありつけない」のです。とにかく、食事ができない。貧しいから? いや、みな金持ちなのです。それなのに「みんなと食事ができない」。それがなんとも可笑しいのです。
題名は『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972年)、監督は「忘れられた人々」や「昼顔」でもよく知られるルイス・ブニュエル。アカデミー外国映画賞作品にはひどい愚作もありますが、これは傑作です。

六人の男女の中心はラファエル、架空の国「ミランダ」の駐仏大使ですが、この大使、実は外交官特権を利用してコカインの密輸をやっていたりする、とんでもない男です。

ある日、そのラファエルが、友人のデブノ夫妻とその妻の妹を連れて、四人で別の友人アンリ夫妻の家のディナーに招かれる。ところが行ってみると、アンリは留守で、夫人に「あら、パーティは明日よ」と言われる。もうこの最初のシーンから、様子が変です。
では、と、そのアンリ夫人も入れて五人で、近くのレストランに行って席に着くと、隣室から泣き声が聞こえる。覗いてみると、そこに死体が横たわっていて、店主が今日死んだので葬儀屋を待っている、というのです。冗談じゃない、と帰っていく。

翌日会ったアンリも含め、ここから、この六人の「食事ができない」変な、受難の日々がつづいていきます。ある日、三人の女だけでカフェでお茶を注文すると、お茶が切れている。コーヒーもない。不意に近くにいた軍人の中尉がやってきて同席を求め、少年時代に義父を毒殺したと告白する、という具合。

現実とまったく同じ手法で「夢」が描かれるのも、この映画の特徴です。招待された軍人の家で、ディナーがはじまろうとすると、幕が開いて、自分たちは観客の前で「ディナー」のシーンを演じている俳優になっている。それは、実はアンリの夢で、目がさめると電話が鳴って、軍人の家でみな待ってる、と言われる。やっとその家に着くと、主の軍人と口論になった大使が、ピストルで軍人を射殺する、と、それはデブノの夢だった……。

そんな物語の進行とは無関係に、この映画では三度にわたって、六人が何も持たず、話もせず、人っ子ひとりいないまっすぐな道を、急ぎ足で歩いていくシーンが挿入されます。ラストのタイトルロールも、そのシーンの上にタイトルが流れ、音楽の代わりに、六人の急ぎ足の足音だけがつづきます。

このシーンが何を意味しているのか、なんて詮索はやめにしましょう。ただ、画面に描かれていることだけを確認すると、この六人は、つまり「みんなと一緒の食事」ができないのです。六人一緒のランチやディナーには邪魔が入っても、たとえば朝食は? 一人なり、夫婦なりで食べているに違いないわけで、そうでないと餓死してしまう。
その証拠はちゃんと描かれています。
ラストのタイトルロール直前のシーン、六人でディナーを始めようとしたとき、押し入ったゲリラにダダダと射殺される夢で、大使は夜中に飛び起きる。空腹なので自室の冷蔵庫をあけると、そこは食料でいっぱい。で、ローストビーフかなんかを取り出し、パンと一緒に食べ始めるのです。一人なら食事できる。

もっとも、そのシーンもまた別の夢、ではない、という証拠はないのですが……。

東陽一

著者:東 陽一(ひがし・よういち)氏

1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。早稲田大学文学部卒。
代表作に「サード」(1978年)(芸術選奨 文部大臣新人賞受賞)、「もう頬づえはつかない」(1979年)(第34回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞受賞)、「橋のない川」(1992年)(第47回毎日映画コンクール 監督賞・同日本映画優秀賞受賞)、「絵の中のぼくの村 Village of Dreams」(1996年)(第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)、「わたしのグランパ」(2003年)(第27回モントリオール世界映画祭(カナダ)最優秀アジア映画賞受賞)など。
2010年12月、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を公開。同作品によって、2011年5月、第20回日本映画批評家大賞・監督賞を受賞。

2009年4月より、京都造形芸術大学映画学科客員教授に就任。