「食」のエッセイ 映画と食の深いつながり

様々な作品に挑みつづける映画監督 東 陽一氏が映画と深いつながりのある「食」について語ります。

第4章 「舌」は何のためにある?

ただ命をつなぐだけ、というような粗食が当たり前の村人たちが、ある日突然、フルコースのフランス料理を食べることになったら何が起こるか。ガブリエル・アクセル監督の『バベットの晩餐会』(1987年)は、その成り行きを実に丹念に描いていきます。

まず、カレイに似た魚の干物を水煮して身を剥がす。次に、固いパンを砕いて水とビールを加え、魚肉と一緒に長時間煮込むと、どろどろしたペースト状の食べ物になる。うまいとはとても思えないけれど、これが、デンマークの海辺の寒村、そこの敬虔なプロテスタントの村人たちの、長い間の常食でした。

この村で独身のまま年老いて、牧師だった父亡きあとその仕事を受け継いだ二人の姉妹のところに、あるとき、革命騒ぎ(1871年の「パリ・コミューン」)で夫と子どもを殺されたフランス人女性が逃げてきます。名前はバベット。そのまま老姉妹の面倒を見て、14年が経ちます。ある日、その彼女がとんでもない大金を手にいれるのですが、それを全部使って、亡き牧師の生誕百年を祝うフランス料理を作り、村人を招待すると宣言します。

最近は信仰が薄れがちで争いが絶えないとはいえやはり敬虔なプロテスタント、バベットがパリから人を使って運んできた生きたウミガメ、ウズラなどを見て目を丸くし、パニックになります。かつてパリの有名な店の女シェフだったらしいバベットが着々と料理の支度をする間、村人たちは「食物については語らない」「味わってはならない」などと決め、「舌の快楽」を受け入れまいとします。こんなことをいう老女性さえいます。 「舌、この不思議な小さな筋肉は人の栄光と偉業をたたえるもの、でも一方では手に負えない毒の塊だわ」

やがて始まった晩餐会には、昔この姉妹に好意を寄せていた軍人も、今は将軍となって招待されています。将軍が黒トリュフ入りのパイに化けたウズラの脳髄をすすりながら、隣の女性に「うまいでしょう」というと、彼女は〈味わってはならない〉ので、「風が静まったわ」なんてトンチンカンな答えを返しますが、でも事実、食事の終わりころには、仲違いしていた老人たちが昔のように仲良しになって、人々の間に吹き荒れていた「風が静まった」りもするのです。最後に将軍が、この女料理人は「食事を恋愛に変えることのできる」凄い女性だと賛辞を述べるのですが、さてこの映画、全体として、いったい何を観客に伝えようとしているのでしょうか。

わたしのような凡俗の徒は、舌はまず第一に「味覚」と「発語」、それから恋人たちの「キス」のためにあるのだと思いますが、間違ってる、と叱られるかもしれません。映画のラスト近く、村人たちは手をつないで踊りだし、とても楽しそうですが、わたしに少しだけ残る心配は、舌、つまり「毒の塊」で一度「食の快楽」を知ってしまったこの人たちが、ふたたびあの不味そうな日常食を食べながら、以前の信心深い生活をとり戻せるだろうか、ということでした。

東陽一

著者:東 陽一(ひがし・よういち)氏

1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。早稲田大学文学部卒。
代表作に「サード」(1978年)(芸術選奨 文部大臣新人賞受賞)、「もう頬づえはつかない」(1979年)(第34回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞受賞)、「橋のない川」(1992年)(第47回毎日映画コンクール 監督賞・同日本映画優秀賞受賞)、「絵の中のぼくの村 Village of Dreams」(1996年)(第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)、「わたしのグランパ」(2003年)(第27回モントリオール世界映画祭(カナダ)最優秀アジア映画賞受賞)など。
2010年12月、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を公開。同作品によって、2011年5月、第20回日本映画批評家大賞・監督賞を受賞。

2009年4月より、京都造形芸術大学映画学科客員教授に就任。