「食」のエッセイ 映画と食の深いつながり

様々な作品に挑みつづける映画監督 東 陽一氏が映画と深いつながりのある「食」について語ります。

第2章 「めし」-その(1) 男のめし

「できん相談だな」と一人の武士が厳しい表情で、つぶやくように言います。つづいて、
「めしを喰わせるというだけではな、よほどの物好きでないとつとまらん」

それを聞いて絶望的な顔になるのは、三人の百姓です。彼らは、毎年収穫期になると襲ってくる野武士の一団から村を守るために、腕の立つ侍を探して都会に出てきたのです。そして道中たまたま見た、その侍の見事な腕前に惚れこみ、自分らが泊まっている薄汚い木賃宿まで来てもらって、助けてほしい、お礼はめしを食べてもらうだけだが、と頼んだときの、そのシーンです。映画はもちろん、黒澤明監督の『七人の侍』。

断られて絶望する百姓たちを見ていた駕籠かきらしい男(多々良純)、いつも博打ばかりしているその男が、不意に百姓の手から、めしを山盛りに盛ったどんぶりを奪い取り、侍の目の前につきつけて言います。
「お侍、これ見てくれ、こいつぁお前さんたちの食い分だ。ところがこの抜作どもはヒエ食ってんだ。自分たちはヒエ食って、お前さんたちには白いめしを喰わせてんだ!」

偉そうに格好つけてるが、お前さんにはなんにもわかってねえじゃねえか、といきり立つ男に向かって、侍(志村喬)が静かな声で言います。
「わかった、もうわめくな」

そして、白いめしを山盛りにしたどんぶりを受け取り、百姓たちに見せて、言います。
「このめし、おろそかには喰わんぞ」

これが、侍と百姓たちとの「約束のめし」であり、命を懸けた「覚悟のめし」です。そしてこれが、やがて七人の侍が村人たちと手を組んで、食料を求めて襲ってくる野武士たちと凄絶な闘いをはじめる、その序章です。

ところで、この侍、島田勘兵衛はこのあと、彼を慕う若侍の勝四郎(木村功)と二人、どうやってこのめしを食べたのでしょうか。むろんおかずがあるわけがない。塩を持っていることは想像できるけれど、こんな場面でめしに塩をふりかけたりするはずがない。

学生時代に七回も映画館に通ってこの映画を見たわたしは、画面には描かれていないそのシーンについて、想像だけであえて断言しますが、勘兵衛は勝四郎とともに、たぶんいつも携帯している箸を使い、百姓たちに見せるようにして、噛んでいくうちにかすかな甘味が口の中にひろがっていくその米のめしを、米のめしだけを、ゆっくりと噛みしめたに違いありません。それを、飢えた百姓たちが息を呑んで見守っています。このときすでに、勘兵衛の頭の中では、野武士たちとの命を懸けた「闘い」がはじまっていたはずです。

戦国時代の武士の喰う「めし」、そしてめしを喰うことがもたらす「覚悟」とは、そのようなものであったに違いない。わたしは敬意をこめてそう考えています。

東陽一

著者:東 陽一(ひがし・よういち)氏

1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。早稲田大学文学部卒。
代表作に「サード」(1978年)(芸術選奨 文部大臣新人賞受賞)、「もう頬づえはつかない」(1979年)(第34回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞受賞)、「橋のない川」(1992年)(第47回毎日映画コンクール 監督賞・同日本映画優秀賞受賞)、「絵の中のぼくの村 Village of Dreams」(1996年)(第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)、「わたしのグランパ」(2003年)(第27回モントリオール世界映画祭(カナダ)最優秀アジア映画賞受賞)など。
2010年12月、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を公開。同作品によって、2011年5月、第20回日本映画批評家大賞・監督賞を受賞。

2009年4月より、京都造形芸術大学映画学科客員教授に就任。