「食」のエッセイ 映画と食の深いつながり

様々な作品に挑みつづける映画監督 東 陽一氏が映画と深いつながりのある「食」について語ります。

第1章 「カレーライス」-ときには儀式のように

新しい映画が完成して公開日が決まると、ふつうはまずマスコミ試写が始まります。宣伝担当者はマスコミの人と顔見知りなので、試写会の翌日、電話で感想を聞いたりします。

今年の12月4日に全国公開されるわたしの新作映画について、試写後の電話で「帰り道、思わずカレーライスを食べてしまった」と言った人がいたそうです。ほかにも、試写を見たわたしの友人のメールには、そのカレーライスのシーンについて、「ものを食べてあんな幸せそうな顔をする人間を、ほかの映画で見た記憶がない」と書いてありました。

まあ、メールの最初に「映画が素晴らしかった」とまず書いていないのが監督としては少し不滿ですが、でもたとえカレーライスのシーンだけにしても、そんな強い印象を受けたというのは、きっと映画全体に感動したからだろう、と思い込むことにしました。

試写会で見た人たちのうち二人が、カレーライスのシーンに言及した、そのわたしの新作映画のタイトルは『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』というもので、人生でこんな幸せなことはない、という顔でカレーライスを食べるのは、国際的名優、浅野忠信です。

三度の食事よりも酒、というような生活をつづけて「アルコール依存症」になり、精神科病院のアルコール病棟に入院してしばらくあとのシーンです。長年の酒で胃も荒れている患者なので、内科医は他の人たちがカレーライスを食べる日も、この主人公にはお粥などの刺激の少ない食事を、量を減らして出すように指示しています。それが不滿で、看護師を怒鳴りつける妄想を抱いたりします。

アルコール依存症の原因を簡単に特定することはできませんが、この男はたぶん、人生での何かへの「飢餓感」を、アルコールへの飢餓感に切り換えることで「飢え」を癒して生きてきたのでしょう。今度はそのアルコールが断たれたので、代わりに「カレーライスへの飢餓感」を癒すことが、ほとんど生きていることの目的みたいになっていきます。

酔いがさめたら、うちに帰ろう。 (C) 2010シグロ / バップ / ビターズ・エンド

我慢が限界に近づいたある日のこと、彼はやっと、皆と同じカレーライスの皿を受け取ります。でもいきなり犬のようにかぶりつくわけにいきません。人間にとって、「食」とは本来、極めて厳粛な、宗教的な意味を持つ行為でした。その文化的〈遺伝子〉が、この男の無意識にも受け継がれています。何も考えていないのに、この男がスプーンをカレーの山の中に入れ、ゆっくりすくい上げて口元に運ぶその仕種は、宗教の儀式のように見えてきます。幸せな顔で「シーフード・カレー…」とつぶやいた瞬間、たぶん「神」が食べることを許したのでしょう、口に入れてゆっくり噛みしめ、とろけるような笑顔です。あとはもう無我夢中……。それに見とれているうち、わたしはつい、「カット」と声をかけるのを忘れそうでした。見事な演技でした。

東陽一

著者:東 陽一(ひがし・よういち)氏

1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。早稲田大学文学部卒。
代表作に「サード」(1978年)(芸術選奨 文部大臣新人賞受賞)、「もう頬づえはつかない」(1979年)(第34回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞受賞)、「橋のない川」(1992年)(第47回毎日映画コンクール 監督賞・同日本映画優秀賞受賞)、「絵の中のぼくの村 Village of Dreams」(1996年)(第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)、「わたしのグランパ」(2003年)(第27回モントリオール世界映画祭(カナダ)最優秀アジア映画賞受賞)など。
2010年12月、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を公開。同作品によって、2011年5月、第20回日本映画批評家大賞・監督賞を受賞。

2009年4月より、京都造形芸術大学映画学科客員教授に就任。