「食」のエッセイ “文化”を食べる人々

第19章 豚のこと

昔、豚の祖先は森の住民でした。彼らは大自然の中で、健全な生活を送る動物だったのです。しかし、狩猟生活をひかえ、畑を耕すようになった人間たちによって、森は切り開かれ、彼らは囚われの身となりました。そして、人間には不要な食べ物を強制的に食べさせられ、狭い囲いの中に閉じ込められ、何代も世代を重ねるうちに、姿かたちまで変えさせられてしまいました。

豚はきれい好きな動物です。それなのに、不潔な囲いの中で生きることを強いられているのです。また、本来、豚は敏捷な動物ですが、人間たちが彼らに運動不足の生活を強いて、自由に動くことすら思うようにならないほどの体つきにしてしまったのです。

それなのに、豚に関する限り、人間は“汚い”だの“鈍い”だのと、思いつく限りの悪口雑言を吐いて、豚を馬鹿にする傾向が強いようです。しかし、その汚名を着せるのは、あまりにも不当というものです。そもそも、豚ほど人間の役に立ってきた動物はそうはいないでしょう。
といえば、わたしは11月下旬の一週間ほどを、パプアニューギニアのマヌス島で過ごしました。パプアニューギニア本島の田舎では、豚は食べるだけではなくて、生活の多くの面に関係する重要な財産です。花嫁をもらう際に、花婿の側はその代価を豚で支払うことも一般的であったと言われます。ある時に隣り合わせた、ニューギニア人の男性と結婚しているオーストラリア人の中年の女性は、「わたしの側は、彼と結婚する時に豚を何頭かもらいましたけど、けちって少ししかくれなかったのよ」などと、笑って話していました。

マヌスは、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーからは1,000キロほど北の、赤道にごく近い場所に位置します。11月といえば、日本は冬の入り口に入りかけていますが、マヌスは連日35度を超える暑い日々が続きます。まさに真夏です。日中は照りつける日差しが道路に反射し、目がくらむほどの明るさです。女の人たちは、そろいもそろって同じ模様の大きな日傘をさして、町の中を行き来しています。

そのマヌス島の沖に“ペレ”という小島があります。ペレは、世界的に著名なアメリカの文化人類学者、マーガレット・ミードが1928年から1929年まで滞在し、重要な研究を残した場所でもあります。その後80年近くが経ちましたが、彼女の思い出は人びとに語り継がれ、簡単なものではありますが、島では唯一のコンクリートの建造物である平屋の小さな公民館のような建物の一部に、彼女の記念室も作られていました。今回の旅は、そうしたミードの足跡を訪ねることも目的の一つでした。

2年前の話ですが、ニューギニアの高地に入ったときには、運良く、着いたその日に、わたしが泊まった家の裏でちょうど豚料理を始めるところでした。よく太った立派な豚です。それが楽に入るような大きな穴を地面に掘り、バナナの大きな葉をドサッと積み重ね、その上に豚や一緒に調理するイモなどの野菜を置き、さらにバナナの葉を被せ、熱く焼いた石を載せ、さらに土を被せて熱が逃げないようにして数時間待つことで、丸ごと蒸し焼きにするのです。それは、わたしが以前にハワイで見たものと、同じ料理の仕方でした。その日は、蛮刀を器用に使って行う豚の解体から蒸し焼きまで、豪快な料理作りを見せてもらっただけではなく、出来上がった肉をお腹一杯ご相伴にあずかることができたのでした。
ころで、ニューギニアの豚には牙があります。それは半円形を成していて太く、10センチ以上の長さがあるものも珍しくありません。良く整った牙は、両方で円形に近い物となりますが、そういう牙は価値が高く、その牙を使って勇壮な首飾りを作る集団も多く見られます。円形に近くなるまで伸びた牙は特に価値が高く、そのままで腕輪としても珍重されます。

ニューギニア本島では沢山見かけた豚も、マヌス島では姿を見かけることがほとんどありませんでした。豚の姿がないことを不思議に思って、土地の知人に尋ねたところ、思いがけない答えが返ってきました。なんと、豚一頭につきいくらといった具合に、税金がかかるからと言うのです。マヌスでは、鶏や飼い犬なども同じ扱いを受けるようです。余談ですが、マヌス島は犬の天国です。マヌス島では、かつては犬の歯が貨幣の代わりとして用いられていました。そのせいか、ニューギニアの他の地域と比べて、圧倒的に犬の姿をよく見かけます。町を散歩していると、犬がいつもウロウロと歩き回っています。ただ、その犬たちも、税金のことがあるために、人々は皆、自分の犬だとは言いたがらないのだと、知人は笑っていました。

税金のせいかどうかは分かりませんが、豚や鶏をマヌスの市場で見かけることは、滞在中、一度もありませんでした。わたしの滞在した11月に市場に多かったのは、燻製にして真っ黒に干からびた熱帯の魚や、マングローブにすむ大きな蟹などです。市場の端では、1メートルはあろうかという海亀が甲羅を下に裏返しにされて、身動きできない姿で転がされているのを見かけました。手足をばたつかせているその腹には、日本円に換算してわずか数百円の値段が書かれていました。豚文化の国と言われているニューギニアで、豚の姿を見ないというのは、どうも不思議なことでした。
う半世紀ほど前のことになりますが、わたしは返還前の奄美諸島で、方言の調査を行ったことがあります。その際に、「豚の皮」という単語を尋ねたところ、土地の人が怪訝な顔つきで「さあ、そんな単語はないように思いますが」と答えました。不思議に思い、その理由を探ってみますと、その土地では、豚の場合は皮ごと食べてしまうので、牛皮のようには皮を意識していないようなのでした。それは丁度、わたし達のような東京育ちの者が「イワシやサンマの皮は何といいますか」と、突然,尋ねられたときに感じる戸惑いのようなものだったのでしょう。

沖縄は、わたしが若い頃からずっと好きな土地の一つです。どうも、わたしには、寒いところよりは熱帯の空気が肌にあうようです。ところで、那覇の目抜き通りである国際通りを少し入ったところに、大きな市場があります。ずらりと並ぶ小さな店の軒先には、色とりどりの食べられる熱帯魚、大きな海老、貝類から、豚の肉などが所狭しと置かれています。その市場を訪れるのは、わたしの沖縄滞在の楽しみの一つです。何回も繰り返し訪ねるので、市場には知り合いになった人もいて、沖縄料理のことなどをいろいろと話してもらいました。

なんと言っても、沖縄は豚の島です。沖縄では、豚は単に外から見て肉だと分かるものだけが、食用になっているのではありません。鼻の先から尻尾の先まで、皮から内臓、血液まで、すべて立派な料理になります。「鳴き声を除けば、捨てるところは一つもない」などと言う人もいます。ですが、本当は食べようと思えば食べられるのに、食べない場所をわたしは見つけました。それは目です。確かに、目は体の様々な部分の中で、もっともその生き物の姿を思い出させるものですから、特殊な健康法として食べるというのでもない限り抵抗感を感じるのでしょうか。それとも、とてもまずくて食べられないのでしょうか。

わたしは言語の研究者なので、何かを見ると、その単語を聞いてみたくなったりします。たとえば、沖縄では生きている豚は、“ゥワー”(カタカナでは正確には表記できません)、それが肉になると“シシ”となり、煮てしまった肉は“アッタミ”と言うなど、同じ豚でも状態によって名前がいろいろと変わるのです。そんなことを知ると、体の部位でいろいろと違う肉の名前まで知りたくなってきます。次のような単語は、その代表的なものです。

まず、わたしが好きなロースは“ボージシ”、ヒレ肉は“ウチナガニー”と言います。もも肉は“チビジリ”、バラ肉は“ハラガー”、豚足はひざの辺りから上の肉は“ティビチ”、その下の蹄までが“チマグー”、尻尾は“ジュー”です。その辺りまでは、沖縄の外の人々にも珍しくないのですが、耳肉の“ミミガー”、顔肉の“チラガー”などとなると、その現物を初めて見る観光客には、「あっ」と声をあげて驚く人さえいます。ミミガーとは、“耳皮”のことで、それを刺身にして食べます。刺身と言ってもナマ食ではなくて、茹でてあります。味は中華料理に出てくるクラゲに似ていて、コリコリとした食感がするもので、泡盛の肴として人気があります。また、チラガーと言うのは、“面(つら)の皮”、すなわち顔の皮と言う意味です。その名の通りのもので、顔の皮を形のまま剥いて、ミミガーのような処理をしたものです。一見、豚のお面のように見えて、食べ物だとは思えない人がいるのでしょう。市場などでは買って食べるというよりは、旅の記念に残すという気持ちで、店先のチラガーの前で写真を撮る観光客を良く見かけます。チラガーも、歯ごたえがあって味も良く、ビールや泡盛の肴にはうってつけです。

ところで豚料理と言えば、何といっても中国のものが代表的だと思います。中国では、単に“肉”と言えば、それは豚肉のことです。中国語で表記すれば、豚肉は“猪”肉となります。日本語では、猪は“いのしし”のことです。中華料理では、牛や羊などの肉の場合ならば“蠔油牛肉”とか“烤羊肉”といったように、それが何の肉であるかが料理名に入っているのが普通です。

豚料理の本家でもある中国では、肉、内臓、耳、足、血など、豚のあらゆる部分が料理されるのは勿論ですが、その料理の完成品には、時々、わたしもぎょっと驚くことがあります。たとえば、ある料亭では、丸焼きの豚の両眼に小さな豆電球が仕込んであって、その豚が食卓の上で目を光らせていたりします。また、中国には50を超える少数民族とされる人々が多くいますが、ミャオ族のご馳走では、食卓の上にどっと積まれたご馳走の真ん中に豚の頭がドンと置かれ、その頭の上には赤や青の紙の旗が立てられます。食欲をそそるためなのか何なのか、その盛り付けの方が気になって、肝心の味の方はどうも覚えていません。

中国の少数民族には、回族、ウイグル族、キルギス族、ウズベグ族など、イスラム教徒が主体になっている集団が十種あります。わたしが何度も訪れたことがある福建省の泉州には、イスラム教徒である回族の人々がいます。泉州は海のシルクロードの東端とされ、東西交易の要衝でしたので、イスラム教が早くから伝わっていたのです。回族の人びとはイスラム教徒ですから、本来、豚肉を食べることはタブーとなっているはずです。しかし、歴史的な事情によって、古くから、回族には豚を飼っている家があり、豚肉を食べる人びともいます。このような姿をアラビア半島のイスラム教徒が見たならば、怒り出すかもしれません。

ついでですが、“イスラム教徒は豚を食べることが出来ないが、牛や羊は食べてもよい”とだけ書いてある本が圧倒的に多いようですが、本当のところは、もう少し込み入った規則があるのです。それは、牛や羊の殺し方、すなわち屠殺の仕方が定められているということで、それ以外の方法で殺した肉は不浄のものとして食べてはならないとされます。その屠殺方法を“断喉法”と名付けている人もいますが、「神(アッラー)の名において」と言いながら、喉の頚動脈を刃物で切って殺すというやり方です。
の日本で、スーパーの棚に並べられた豚肉や、それを素材とした製品であるハムやソーセージなどを見て、それが「豚」という生き物だったと意識する人は少ないでしょう。しかし、それは生き物が姿を変えたものです。そして、その豚という生き物をめぐっては、飼育から屠殺の仕方、そして食べ方まで、人間のさまざまな想像力の世界が広がっているのです。

西江雅之「“文化”を食べる人々」エッセイ一覧

著者:西江雅之(にしえ・まさゆき)氏

昭和12年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。
主に東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島で言語と文化の研究に従事。多数の言語を話し、土地の人々の生活に容易に溶け込む研究態度で“ハダシの学者”との異名を持つ。
また、現代芸術とのかかわりも深く、美術、音楽活動への参加も多い。教育面では、過去30年の間に東京外国語大学、東京大学、東京芸術大学、早稲田大学などで文化人類学または言語学の講義で教壇に立った。
第二回「アジア・アフリカ賞」受賞(1984)。専門書の他に、エッセイ集『花のある遠景』、 『東京のラクダ』、『異郷をゆく』、半生記『ヒトかサルかと問われても』、対談『ヒトの檻、サルの檻-文化人類学講義』などがある。平成13年11月、JTB旅行文化賞記念出版として『自選紀行集』が刊行された。
また、多くの高校・中学の国語教科書にエッセイが採用されている。平成27年6月14日死去。