「食」のエッセイ “文化”を食べる人々

第16章 ビールを巡る話

雨が明けるとビールの季節だとされたのは、もう数十年も前のことです。

夏の夕べから夜にかけて、その頃よく見かけた光景が目に浮かびます。中年のおじさんが縁側に将棋盤を出してきて、近所に住む友人のおじさんと向かい合って、難しい顔をしながら駒を動かしていました。二人の脇には大瓶のビールが置いてあり、相手が駒を打つ合間に、コップに注いだビールをぐいと飲み干したり、皿の上に山と積まれた枝豆を鞘ごと口に入れては、器用に中身だけを食べて、食べ残しの皮を縁側の板の上に積み重ねていたりしました。皿の上は大粒のそら豆である場合もありました。深刻な顔をして、団扇でパタパタと扇いでいたのは、必ずしも暑さのためではなく、時々、顔に迫ってくる蚊を追っていたのかも知れません。

そんな光景も、いつの間にか消え去り、今では懐かしいものとなってしまいました。第一、普通の家屋から縁側というものが姿を消してしまったのです。それでも時には、縁側が付いている家屋を見かけることがありますが、夜になってから、近所の知人をそこに呼ぶという習慣はなくなりました。それよりも大きな変化は、ビールが夏の飲み物だという季節感がなくなったのです。

テレビ放送が始まり、春夏秋冬という季節を無視して、画面にビールの広告が現れるようになりました。ビールといえば、それまでは野暮ったい半袖の白シャツ姿のおじさんが飲むものというイメージがありました。しかし、テレビの画面では、洒落た酒場でジョッキを片手にビールを飲む若者の姿が繰り返し映され、それに違和感を持つ人もいなくなりました。それどころか、今では、若い女性が数人で連れ立ってビヤホールに入っても、昼間に若い女性が一人で入ったレストランで料理と一緒にビールを注文しても、それを白い目で見る店員も客もいなくなりました。

要するに、法律に引っかからない未成年でない限り、ビールはいつの季節でも、一日の如何なる時間帯でも、老若男女を問わず飲んでも構わない飲み物となったのです。
たしは、ビールが好きなものですから、世界各地で様々なビールを飲みます。ただし、わたしはビールの研究者ではないので、訪れる先々の土地のすべての種類のビールを試してみるということはありません。そもそも、ビールの種類は日本国内産のものだけでも、地ビールまで含めれば1200種類を超えるということです。日曜祭日も休まずに、毎日、一種類ずつ飲んでも、三年と何ヶ月か、かかるわけです。ですから、数千種もあるとされる世界のビールに挑戦するなどというのは、まったく無謀なことに思えます。とはいえ、出来る限り、滞在先で造られているビールを試してみるのは楽しいことです。おそらく、今までに、70や80ケ国のビールを飲んでいるに違いありません。

「世界中と言っても、エジプトやイラクのようなイスラム教国では、ビールを飲むなんてことは許されないでしょう。それに、そうした国々では、国産のビールなどというものは、存在しないのではないですか」と、言われることもあります。確かに、サウジアラビアのように、宗教的な戒律が厳しい国もあります。しかし、実はビールが飲めるイスラム教国は少なくないのです。まず、イスラム教徒以外の、キリスト教徒などの住民が少なくない国があります。それに、現在は、国内に外国人の観光客、仕事関係の滞在者も多くいます。そういった人びとがビールを飲む場所が、ホテルやレストランの一部には用意されているのです。また、エジプトのように、イスラム教国であっても、国産のビールが飲める国もあります。東アフリカの沿岸部はイスラム世界の一部ですが、夜になるとレストランやバーは様々な職種の男女で一杯になります。店内は、ビールを飲み、仲間と雑談にふけり、強烈な音楽に合わせて踊り、はしゃぐ人びとで、夜中まで賑わいを見せています。

わたしは酒飲みの部類に入るほどではないのですが、ビールが好きな方です。十年あまり前に、「あなたは、もう25メートルのプールの分量は充分に飲んでいるはずですから、そろそろ止めてもいいでしょう」と、医者から飲酒禁止令が出されました。しかし、その忠告を守ったのは二、三ヶ月。今でも、ビールとの付き合いはやめられそうにもありません。
ころで、ビールの味は、その土地の温度や湿気などにも敏感に関係するのでしょうか、からっとした空気が気持ちいい東アフリカの高地にいる時は、朝から平気でビールが飲めますが、東京ではそのような気分にはなりません。その代わり、東京では夜になれば大ビンの二本や三本は簡単に飲めるのですが、アフリカでは夜でも小ビン一、二本で充分満足で、それ以上は飲みたいとも思いません。

アフリカでビールを造っているのですか、と驚く人もいますが、アフリカでも国ごとに商品としての国産ビールを何種類も造っています。ヨーロッパの技術を入れているので、質もなかなかのものです。その国々で面白いのは、今から2、30年も前までは、「冷えたビールは、腹をこわす」とされていたことです。わたしは、半世紀ほど前からケニアやタンザニアなどの東アフリカ各地を訪れていますが、その当時は、「冷えたビールを」とホテルのバーで注文すると、変人扱いされたことすらありました。

今は、アフリカの国々も国際化したのでしょう。ヨーロッパ式のホテルに行けば、冷やしたビールも普通に飲めるようになりましたが、それでも、地方の町や村では、ビールは常温でというのが普通です。その上に、暑い気候の中、家屋の外に置きっぱなしにしてあるビールを出す店もあるので、常温というよりは、お燗(かん)したといったような生暖かいビールを飲むことになる場合もあります。もっとも、ヨーロッパの本場では、ビールは10度前後から15度ほどの常温で飲むというのが常識ということもありますから、アフリカの生暖かいビールも、その道の通(つう)には当然の飲み物なのかも知れません。

また、アフリカの村々では、地ビールは大きな土の甕(かめ)の中で黍(きび)や粟(あわ)のようなものを素材に造るものが多く、その甕の口に長さ4、50センチはあるストローを差し込んで飲むものがあります。アルコールの度数がほとんどないように感じるのは、ほろ酔いになる前に、水腹で満腹状態になってしまうからです。その上に、ストローを伝わって容器の中の黍や粟が、そのまま口の中に入ってきてしまうこともあり、文字通りに“アワを食った”というような目にあうこともあります。
年以上も前のことになりますが、わたしは、アメリカのオレゴン州ポートランドの大学で教鞭をとっていたことがあります。ポートランドはドイツ系の移民が多かったという土地柄もあり、ビールが美味しいだけでなく、その種類もまた豊富な場所でした。店の中に、自家醸造用の大きな銅製のタンクを置いているレストランやバーも少なくありません。きりっとした味のものから、黒ビールや果物の風味がするものまで、各種のビールが豊富に揃っていて、美味しく、しかも値段が安いのです。小さなグラスを数種も盆に載せて、幾種類もの異なった味のビールを注ぎ、試し飲みをさせてくれる店もあります。今でも、その町で飲んだビールのことを時折懐かしく思い出します。「アメリカのビールは云々」と、やや否定的に言う人もいますが、アメリカにも優れた地ビールがあるのです。

ビールの種類が多い国というと、ベルギーを思い出します。最近になって日本でも注目されているベルギーのビールは、本国では、なんと1500種類以上もあるというから驚きます。ベルギーという国は、主にオランダ語を話す人びとが住むフラーンデレンと呼ばれる北部地域と、フランス語を話す人びとが住むワロニーと呼ばれる南部地域に二分されますが、それぞれの地域が特色のあるビールを造っています。フラーンデレンのビールはいろいろな種類の果物風味や麦芽の香りが売り物で、ワロニーのビールは香ばしく口当たりがよいとされますが、それはそれぞれの土地がゲルマン系の伝統とラテン系の伝統を引くからだと説明する人もいます。いずれにせよ、他の国々と比較してみて、ベルギービールの特色は、実に様々な風味が加わっていることです。サクランボ風味、オレンジ風味、イチゴ風味、リンゴ風味、アプリコット風味といった果物風味から、コーヒー風味、チョコレート風味、そして黒コショウ風味など、初めて口にすると、これがビールなのかと疑うような味のものがあります。イギリスのパブと同様に、店で「ビールを下さい」などという抽象的な注文をしても相手にされません。ちゃんと、ビールの種類を指定する必要があるのです。

それだけではありません。ベルギービールには、種類によってグラスの形を使い分けるという風習があるのです。したがって、飲みたいビールの種類名をはっきりと示さなければ、どのグラスを用意すべきか分からなくて、店員も困るのです。グラスの種類は、大別すれば風船型、聖杯型、円筒型となるでしょうが、個々の種類のグラスが特別な名称を持っているので、ビールの通(つう)は、そんなことでも目の前のビールは「本物だ」、「いや、本物ではない」などという判断をするのです。グラスの違いは、単なるデザイン上の理由によるものではなくて、泡の調節、香りの調節、そして飲み易さの工夫に基づいているのです。
界にビールの種類は無数といえども、様々に分類されています。日本で一番普通なのは、生ビールとそうでないビールという大雑把な分け方です。“ナマ”というのは、加熱処理をしていないビールのことですが、加熱処理をしないことで、口当たりがよく、さっぱりした味に仕上がると言います。

より本格的な分類になると、“エール”と“ラガー”に分けられます。エールは、摂氏20度前後で発酵させて造ったビールです。そして、ラガーは摂氏10度前後で発酵させて造られたビールです。イギリスはエールの本場と言われます。ビールの歴史は一万年にもなるという説があります。そこから見れば4500年前、すなわち紀元前2500年などは、歴史的には新しいことだとされそうですが、その頃、中東ではビールが主食の一部であったとされています。例えば、シュメール人の食卓に並んだ物は、大麦、小麦、エジプト豆などの豆類、玉ねぎ、ニンニク、カラシ菜などで、日常の食事は、大麦のパン、玉ねぎ、インゲン豆を、ビールを飲みながら食していたと伝えられています。古代エジプトの初期には、焼いたパンを素材にして、ビールを造っていたことが知られています。こうした種類のビールは、今で言うところのエールです。そうした長い歴史を持つとされるエールに対して、ラガービールの歴史は短いものです。ラガーは、十五世紀にドイツのバイエルン地方に始まり、その後も、長い間、バイエルン地方だけでしか飲まれていませんでした。しかし、十九世紀の半ばにチェコのピルゼンで、バイエルン地方のビールの流れを汲む透明な感じの金色のビールが誕生してから、その味わいや美しさから、ヨーロッパ各地の注目を集めるようになりました。ラガービールは、改良を重ね、今では世界のビールとも言える存在となっています。

日本人のビールとの出会いは、安政七年(万延元年、1860年)、幕府派遣の第一回遣米使節の一行がポーハタン号に乗り込んだ頃とされていますから、日本でのビール醸造はその後の出来事です。そして、ビール造りは明治初期まではイギリス流のエールが主でしたが、明治十年代の終わり頃からは段々とラガーが人気を集めるようになり、現在では、日本で醸造されているビールのほとんどがラガービールです。
ころで、各地のビール瓶のラベルには、図柄や配色などに、その土地柄が上手く表現されているものが少なくありません。また、わたしにとっては、ビールのラベルは、そこで飲んだビールの味や土地の空気、共に飲んでいた人びととの記憶を、懐かしく思い出させるものでもあります。象の横顔のラベルがついたケニアのビール、キリマンジャロの上の冠雪を描いたタンザニアのビールなどは、わたしの過去の生活の一部が浸み込んでいるようにさえ思われます。最近、ポリネシア諸島に滞在した際、タヒチ島で飲んだビールには、花冠をつけた少女の姿が淡い色彩で描かれていました。また、このところ、縁あってパプアニューギニアに出かけることが多くなりましたが、国鳥でもある艶やかな黄色の極楽鳥が羽を広げた図をあしらった缶に入ったビールは、わたしの好きなものの一つです。「ニューギニアにも国産のビールがあるのですか」と、疑問視する人がいますが、そのビールは国際コンクールで金賞を取ったほど良質のものなのです。

ビールは、アルコール飲料そのものだけで成り立つものではないことを、ベルギーのビールとグラスということで話しましたが、ビールには、その各々の種類にそぐう容器、すなわち瓶や缶の形や大きさが大きな意味を持っています。それだけではありません。各々の種類にそぐう食べ物(おつまみ)の探求、ビールそのものを素材とした料理などの探求には、呆れるほどの努力がなされています。まさに“奥が深い”ということなのでしょうか。こうしたビールに関わるいろいろな枝葉の中で、わたしが興味を引かれるものの一つがビール瓶の蓋、つまり王冠です。

ビールと言えば、今では、瓶だけでなくて缶入りもありますが、開けるのにはさほど苦労はありません。缶はプルタブをひとひねりするだけで開き、瓶は栓抜きを使えば苦もなく開けられます。ビールの普及と言えば、社会の豊かさや個人の購買力の上昇といったことが思い浮かびますが、意外に大きな役割を果たしたのが、ビールを入れる容器の改良でした。今でも、ヨーロッパの凝った造りのビールなどには、特殊な瓶に入れられ、コルクで栓がされているものがあります。コルク栓を抜いたりしていると、なんとなく、ビールではなくてワインやシャンパンを開けているような気分になりますが、かつては、ビールと言えばすべてが瓶入り、そして、コルクで栓がされていたものでした。

日本にビールが入ったのは幕末のことですが、そのころの舶来ビールには、もちろんコルク栓が付けられていました。明治期もコルク栓のビールが一般的だったようですが、瓶に栓をするのに時間がかかった上に、開けるのも難しく、開けた瞬間に泡を吹いて座敷を濡らしてしまったり、客の着物を汚してしまったりしたことも多かったようです。また、無理にコルク栓を抜こうとして、瓶の口が割れてしまい、大騒ぎになったといった記録もあります。

ビール瓶の上をふさいでいる王冠。普段は意識したこともないような小さなものですが、気楽に美味しいビールを楽しめるようになったのも、この王冠の発明があってこそと言えるでしょう。イギリスで、ウイリアム・ペインターという人物が王冠を発明し、特許をとったのが明治30年。彼は賢い人物で、“発明品は一回で使い捨てるものでなければならない”という考え方を持っていたようです。彼は、使い捨ての商品であれば、発明の権利が続く限り、それを使う人が増えるのに比例して利益が自分のところに入ってくるということを見越していたのでした。

王冠の特色は、裏に薄いコルクの円板が付けられていることです。その発明によって、瓶から炭酸が抜けるのを防ぐとともに、瓶を密封して雑菌の増殖を防ぐことが出来るようになりました。また、開けるのが簡単なこと、そして、それまでのコルク栓に比べて値段が格段に安く、また、王冠の表面に商標が付けられることなども、王冠の利点となりました。

日本では、ペインターの発明からわずか三年後の明治33年に、王冠を取り入れた会社もあったようですが、当時の瓶は機械製ではなくて、職人が一つひとつ吹いて作っていたために、形が不揃いになってしまい、王冠と瓶の間から炭酸ガスが抜けてしまうという問題があったようです。その後、色々な方法が試される中で、日本で王冠が普及していったのは、明治末期から大正初期にかけてのようです。第一次世界大戦がもたらした好景気を背景に、王冠付きの瓶ビールが食堂やカフェ、そして家庭の中にも姿を現すようになったのです。

こんなことにも興味が向いているからでしょうか。わたしは外国への旅先でビールを飲むと、必ずその王冠を一つ、お土産として持ち帰るようにしています。

西江雅之「“文化”を食べる人々」エッセイ一覧

著者:西江雅之(にしえ・まさゆき)氏

昭和12年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。
主に東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島で言語と文化の研究に従事。多数の言語を話し、土地の人々の生活に容易に溶け込む研究態度で“ハダシの学者”との異名を持つ。
また、現代芸術とのかかわりも深く、美術、音楽活動への参加も多い。教育面では、過去30年の間に東京外国語大学、東京大学、東京芸術大学、早稲田大学などで文化人類学または言語学の講義で教壇に立った。
第二回「アジア・アフリカ賞」受賞(1984)。専門書の他に、エッセイ集『花のある遠景』、 『東京のラクダ』、『異郷をゆく』、半生記『ヒトかサルかと問われても』、対談『ヒトの檻、サルの檻-文化人類学講義』などがある。平成13年11月、JTB旅行文化賞記念出版として『自選紀行集』が刊行された。
また、多くの高校・中学の国語教科書にエッセイが採用されている。平成27年6月14日死去。