「食」のエッセイ “文化”を食べる人々

第4章 食べ物と伝統

“伝統”。これは、食べ物の話題にとっても大変魅力的な言葉です。土地の名物料理や特産品、高級料亭の逸品、下町の人気食堂のおかず、おふくろの味など、特に話題に取り上げられるような食べ物には、必ずと言ってよいほど、伝統という言葉が顔を出します。店の看板、料理人の名前、その店で使用されている素材や調理方法、料理の味わい方に至るまで、伝統という語が強調されます。店の看板に、“老舗”、“元祖”、“本家”などと書かれていれば、その店の料理は伝統の名品であると信用します。また時には、元祖や本家などという名称を巡って、どちらが正統なのかといった争いが起きるように、伝統という語は、それが本物かどうかといった判断を迫られる場合にも、大きな役割を果たします。
では、そもそも“伝統”という言葉は、一体どのような意味を持っているのでしょうか。

“昔”ということの曖昧さ


まず、伝統とは、昔から長く続いているものであると、誰もが思い込んでいます。しかし、現実に伝統とされているものを見ると、“昔”と言われるものが何を意味しているのかは、非常に曖昧です。

考古学の分野の研究者と話をすると、数千年前から食べ始めたとされる、ある種の食べ物のことなどは、「つい最近」と表現する人もいます。そうかと思うと、十代の半ばの女子高生が、「これ、昔食べたことがある」などと、わずか数年前のことを懐かしそうに話していたりします。何をもって昔と呼ぶのかは、人によって、状況によって、かなり異なっているのです。伝統の場合も、そのあり方は同じです。

“伝統”が話題にあがる場合、“昔”というのは、必ずしも客観的に見た年月の長さを基準にしたものではありません。

たとえば甲子園の野球など、わずか3、4年の間、勝ち続ければ、その学校は“野球の名門校”として全国に宣伝されるのみではなく、その野球部は野球の強豪としての伝統を誇るようになります。さらに不思議なことに、野球部員たちは、その伝統を盛り立てることに誇りを感じ、チームは以前にも増して強くなってゆきます。

このように、“伝統”は、当事者たちと周囲の人々の心の持ち方次第で、わずか数年のうちに確立されることさえあり得るのです。食べ物の場合、人々に受け入れられる時期が、わずか数ヶ月から1年程度で、その後は忘れ去られてしまったならば、それは単なる“流行”であったとしか見なされません。しかし、ある種のラーメンや丼物、弁当の類は、わずか数年、十数年という短期間のうちに日本全土に広く定着し、さらには海外にまで“日本の料理”として受け入れられるようになりました。それらが発売された当時に生まれた子供たち、すなわち現在は十代を超える歳になっている子供たちは、そうした食べ物が日本の伝統食であることを疑うこともなくなっているのです。

また、日本の食べ物といえば、その代表とされる天麩羅や寿司でも、天麩羅はたかだか300年余りの歴史、握り寿司では185年ほどの歴史しか持っていません。ちなみに、徳川家康が鯛の天麩羅を食べて当たって死亡したという有名な話がありますが、実際に天麩羅という名称が記録に登場するのはもう少し後で、さらに天麩羅が庶民の食べ物として広まったのは19世紀の始め頃とされています。こうした事を考えてみますと、伝統というものは、必ずしも“昔”から続いてきたことに重点を置くべきものでもないようです。

“伝統”が意味するもの


では、“伝統”とは何なのでしょうか。
わたしはいつも、“伝統”とは、「ある時代の、ある土地に生きる人々が、目の前に現われた事物に対応し、なんらかの行動を起こそうとする際に、我知らず拠り所としてしまう事物である」と話してきました。

言いかえれば、人々が日常生活の中でとる行動や思考の支えともいうことができるかもしれません。人は、何らかの事物に対して行動を取るとき、あるいは、物を考えるときに、自由に考えているようですが、必ずその身体や思考に染み込んだ根拠を支えとしています。そして、その根拠は個人的に身に付けたもののように感じていますが、多分に当人が生れ落ちた土地の文化に枠付けられたものなのです。

例えば、朝起きて食事をとるのは、日本の伝統的な食事のあり方です。その時、ご飯に味噌汁をかけて食べる人がいますが、それも日本の伝統です。ところが日本を訪れたばかりの韓国の人に、ご飯と味噌汁を出して、それを混ぜて食べるようにと言ったならば、日本の人とは反対に、味噌汁にご飯をかけ始めるでしょう。その人は、韓国での伝統にのっとって行動を起こしたのです。

さらに、個々の社会の中で、人々は実に多様なことをしています。伝統とは、そうした幾多の文化項目の中で、高級だとされているものだけに支えられているのではありません。むしろ、ごく普通の日常生活に見られる多くのものが、伝統に支えられているのです。たとえば、箸を使うことでは日本も中国も同じですが、日本では箸はテーブルについている当人と平行に横向きに置かれます。しかし、中国では、箸は当人から見て縦に置かれます。いずれの国にしても、たかだか箸の向きぐらいと思えることでも、実際の場では近くの人々に違和感を与えてしまったり、他人に対して礼儀を欠くと見なされてしまうことになってしまいます。

食べ物について考える場合に、単に生命維持のための栄養やカロリーという面だけを見るならば、コンニャクなどはほとんど無意味です。ましてや、河豚(フグ)のような猛毒を持つものなど、危険を犯してまでも食べる必要はありません。生命維持だけを問題にする考えは、“文化”というものをまったく無視したものものなのです。人間が何かを“食べる”という行為は、そうした合理性のみでは割り切れない、理不尽さ、冒険心、飽きることのない貪欲さに満ちています。

人間の食べ物の特徴は、 身辺から“食べる事が可能な物”、すなわち“食べられるもの”からほんの一部を“どのようにか”選び出し、それを“どのようにか”入手し、“どのようにか”保存し、“どのようにか”料理し、“どのようにか”食べるといった、極めて“文化”的なものであることを、思い出して下さい。もし、人間の食べ物が、単なる生命の維持だけを目的とするものであったとしたら、地域による食べ物の文化などは無用のものであるはずです。

伝統を“創る”


食べ物の伝統に関しては、さらに重要なことがあります。元来、伝統というものはそれを作り出した人物が不明であることが普通です。たとえば、焼き芋は、日本の伝統料理ですが、誰によって始められたのかなどということは分かりません。今から、わずかニ、三百年ほど前のことならば、料理の種類によってはそれを発明した人物を特定することができるでしょう。そうした場合、作者の多くは一人の人物です。しかし、現代では大勢の人が集って、共同で人為的に伝統を創り出そうという動きが目立つようになりました。

特に、第2次大戦後は、“伝統創り”は産業と強く結びついて来ました。その最も活発な例の1つが、いわゆる“村おこし”、“町おこし”運動です。伝統の活用は、落ち込んだ地方経済を救うための、いわば目玉商品となります。食べ物は、当然、その種の運動の恰好の売り物になりました。地元の知識人が集って、その土地に何か“伝統”として売り出せる素材はないかと探し回り、仮にその種の事物が見つかったとします。例えば、歴史に名を残す偉人が見つかったならば、その人物にあやかって、商品となるような何らかの食べ物を作り出す計画に着手します。水戸黄門が諸国漫遊の際に宿をとったなどという言伝えが見出せれば、それが単なる伝説であることは分かっていても、黄門饅頭、黄門煎餅、黄門ビールから、素材そのものを商品化する黄門トマト、黄門イモなどという食べ物に至るまで、さまざまな形で土地の産物を利用した商品として展開するといった例は、日本中至るところで見ることができます。それどころか、その素材の大部分を他の土地の産物に依存すると言ったものまでもが、普通となる場合も少なくありません。

伝統は構成要素の束


古いままの形で守られているものこそが伝統であると、多くの人は信じています。しかし、伝統はどこかが少しずつ変化してゆくからこそ、新しい時代の中で存続してゆくことができるのです。

では、伝統は、如何なる形で変化を遂げてゆくのでしょうか。まず、伝統はいくつかの構成要素から成り立っていることに注意が必要です。たとえば、その土地に代々伝えられてきた酒を例に考えてみましょう。その酒は、酒の素材、醸造方法、味、香り、色、容器、名称、その酒を取り巻く物語など、いくつかの構成要素によって支えられています。しかし、その酒を詳しく見てみると、昔はその地域でとれた米を使っていても、現在では地域外の米を使用するものとなっていたり、醸造方法もより衛生的で経済的なものに変えられるといったことも普通です。時代に即して、容器をしゃれたビンにするといったことも、よく見られます。伝統の特徴の1つは、人々がそれに関心を持っている限り、その構成要素の一部を時代に即したものに変えるといった形で、無限に新しい命を持ち続けることなのです。

さらに、そうした形で変化を続ける一方で、何故、それが伝統として認められるのでしょうか。それは、伝統の「核」となる要素、つまり、その時代に生きる人々がその伝統にとって中心的であると見なす部分が守られているからです。

しかし、伝統の「核」のあり方も、時代の流れの中で変わらないわけではありません。現代のように変化の早い時代においては、わずか十年後、二十年前、人々が大切だと言っていた部分も、現在ではほとんど忘れられてしまったものは少なくありません。例えば、かつては、その土地の伝統の名物とされるものは、地域の産物で作られていることが当たり前のように思われていましたが、現在では、素材が地域産であることはむしろ稀なことかもしれません。むしろ、そうした素材の内容よりは、商品の包装や名称で“地域らしさ”や“伝統”を演出することが当たり前になりました。このように見て行くと、伝統とは、人間が生きて行く際の拠り所であると同時に、何かを追い求める人間の想像力が創り上げた、ある種の“物語”であることに気付きます。

伝統は“未来”である


30年ほど前に、わたしなりの伝統の考え方を、「未来を懐かしむ」というタイトルで文章にして書いたことがありました。それは、「伝統」について一般的に言われるようなこととは全く異なるものなので、多くの人が違和感を抱く発言であったようです。伝統は過去から現在までという考え方が、人々の頭に染み込んでいるからでしょう。

しかし、今回の話題で触れてきたように、伝統とは、何か行動を起こす時に、無意識に頼ってしまう拠り所なのです。すなわち、それは過ぎ去った過去の事実ではなくて、人々の中に息づき、その未来に向けた行動を支えるものであるとも言えるのです。

そもそも伝統を省みるということは、まず未来に向けて何らかの行動を起こそうとしているからです。そして、そこに過去を生かそうとする試みだということができるでしょう。だからこそ、わたしは「未来を懐かしむ」といった表現を使ったのでした。

ごく当然のこととして何かを食べる。その未来にかけて起こされる行動の中にこそ、伝統は生きていると言えそうです。

西江雅之「“文化”を食べる人々」エッセイ一覧

著者:西江雅之(にしえ・まさゆき)氏

昭和12年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。
主に東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島で言語と文化の研究に従事。多数の言語を話し、土地の人々の生活に容易に溶け込む研究態度で“ハダシの学者”との異名を持つ。
また、現代芸術とのかかわりも深く、美術、音楽活動への参加も多い。教育面では、過去30年の間に東京外国語大学、東京大学、東京芸術大学、早稲田大学などで文化人類学または言語学の講義で教壇に立った。
第二回「アジア・アフリカ賞」受賞(1984)。専門書の他に、エッセイ集『花のある遠景』、 『東京のラクダ』、『異郷をゆく』、半生記『ヒトかサルかと問われても』、対談『ヒトの檻、サルの檻-文化人類学講義』などがある。平成13年11月、JTB旅行文化賞記念出版として『自選紀行集』が刊行された。
また、多くの高校・中学の国語教科書にエッセイが採用されている。平成27年6月14日死去。