震災後の現場から ~精神看護の立場からのメッセージ~

末安民生 先生

東日本大震災後、今なお様々な困難に直面している方々が数多くおられます。解決が遅れる生活基盤、経済基盤の問題に加えて震災で受けた心の傷で精神的にも多くの問題を抱えている方もおられます。今回は、心の専門家から今だからこそ伝えたいメッセージをお送りします。

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学医療学部看護学科 教授
末安民生 先生

第九章 周囲の人ができること、専門家ができること

気持ちのズレを埋めるために補い合うこと

家族や学校、職場の同僚や長い付き合いの友人など、自分にとって大切な人を見守るのは、もちろん身近にいる人々の役割です。「相補性」ともいいます。互いに補い合うという人間関係の基本といってよいものです。

誰もが健康で穏やかな暮らしを望んでいる。けれども、人との暮らしには感情のズレ、すれ違い、摩擦があるのがむしろ自然なのです。誰もがこの関係性からは逃れられないのです。しかもそれらの感情の働きは時に過剰になり、持続し、やがて葛藤や不安となってこころの底に残り続けます。どのように親密な家族にも個人個人の相性や成長に伴う変化によって、時にコミュニケーション不足が互いの感情のすれ違いになっていくことは避けられないのです。例えていえば思春期青年期の身体発達と成長のバランスが整わないときに発生する「成長痛」ともいえる程度に、相互の理解に微妙なズレが生じます。であるからこそ互いに気遣う対人的な機能として「相補性」が重視されるわけです。

現代社会の「こころの病」への関心の高さは、社会現象として他者のこころの動きを見ているのだけではなく、多くの人々にとっては自分自身の対人関係上の摩擦や葛藤が重なり合って、他人事だとは思えずに強い気がかりになっているからなのだといえるでしょう。

人とのつき合いや子育て、そして学校教育、仕事場など、生活上のさまざまな人間関係の場で葛藤は生まれ続けている。もしその葛藤に拘りの気持ちが広がれば、やがては暗雲のように安定的な自分の心の状態は脅かされるように包み込まれてしまいます。そのような日々積み重なる葛藤から生まれる「心の病」があるとしたら、自然に生じてしまうともいえるその「心の病」との境界線上のバランスはどのようにとればいいのでしょうか。そしてそのための予防や対策はどのようにしたら得られるのか。ましてやそれを専門家でない人が身につけることはできるのでしょうか。

忘れ去れない感情

暮らしの中の対人関係上の摩擦は葛藤になり、やがては不安の塊と化します。当の本人に気づかない間に心のどこかに密やかに留まります。そのまま時とともに忘れ去られることもあるのです。ところがその小さく微妙な葛藤や不安が一時的な忘れ去られている状態から、さまざまなきっかけで封印を解かれて再び現れることがあります。フラッシュバックという言葉を聞いたことがあるでしょうか。つまり一時的には忘れることができても、誘発する要因が(引き金ですね)あると仕舞われたその場所から再び活発に不安信号を発する状態になります。つまり消滅するものではないようなのです。葛藤、不安などの記憶は、時間が自動消去してしまうことはできないのです。

対人関係上の葛藤に気づき、できるだけ減らしていくことはとても困難なことなのです。例えば学校では「対人関係上の葛藤について」を教えていないですよね。深刻な例として葛藤から攻撃に転じる対人関係上の問題として「いじめ」がありますけども、教育の場だけではなく職場でも近所付き合いの中にも連綿と続いている。「いじめ」と「自殺」が切り離されない問題であることに、今日では異論をさしはさむ人は少ないでしょう。振り返ってみるといったいいつごろから我が国は「いじめ」によって人を追い詰めて「自殺」にまで至らしめることが小学生にまで「浸透」してしまったのでしょうか。

今回はこのテーマでのお話ではないので別の機会に譲りますけども、結果の不幸に留まらず、人と人の関係の中での摩擦や葛藤は、もはや人間関係上の必然の現象であるといっても言い過ぎではないのかもしれません。あってはいけないことだけれども無くすことができていない現実。日々起こっていることなのに対処の仕方を学校でも教えにくいような事柄なのだということが解ります。

専門家の経験から学び、活用できること

でも手をこまねいてはいられないと感じている人は少なくないはずです。そこでまずは自分で理解しようとして、例えば大きな書店の「こころの病コーナー」や「教育書コーナー」の前に立つと、いったいどの本を読んだらよいのか分からないほどの書籍が並んでいます。最近は「うつ病」に関連する本が流行といえるほど出版されていることが拍車をかけています。直接に対人関係の不安や葛藤、「いじめ」に関するものではないものの、対人関係やそこで起こる葛藤を理解したり改善するための「療法」についての書籍は精神科関連のいわゆる医学専門書の棚でも目にすることができます。専門家も研鑽するためだけではなく、臨床のできごとの多様化に悩んでいるといえるのです。

一方、この二つの書棚に橋をかけるような、専門書でありながらも人々が手に取って心の病の理解を深め、家族や友人へのケアに参考になる本も出版されるようになりました。例えば神戸大学の名誉教授である中井久夫先生の御著書などは、それまでの統合失調症などの研究を基盤としながらも阪神・淡路の大震災の際の救援活動を通して得られた経験と重ね合わせて、日々の生活の中での体験を見直そうとするときの視点としてとても重要なものです。災害被害と対人関係の摩擦、一見、枠組みが大きく違うように感じるこの二つのコンセプトは、そこから生まれる不安、ということによって心のあり方という見方をすれば根底では結びついているのです。

確かに災害支援活動をきっかけにはしています。非常事態である災害被害と人が「傷つくことの体験」からどのように回復していくことが可能なのかを精神医学の分野の経験から、「市民に語りかける心の研究方法」として提供しているといえるのではないかと思います。

ケアする人へのケア

繰り返し申し上げてきていることなのですが、先の東日本の震災においては、人が被災したことだけではなくて、避難先でも過酷な体験を重ねてしまうことや、自分よりもより深刻な被害者がいることを知ることによっても深く傷つくことがありえるということがはっきりとわかりました。これまでの災害支援活動ではなかなか取り上げられなかったことです。ましてや、被災者だけではなく、全国から馳せ参じた訓練を受けている支援者でさえも、被災地の状況や被災者の痛みに気づき、自らも傷つく可能性があるということも明らかになりました。災害支援活動を通しての発見です。日ごろからケアを行う人や、災害支援活動を行う人への配慮がとても重要であるということが明白になったのです。他者への配慮や、人を気づかうということは、たとえ相補性という基本があるとしても高いリスクが伴うのです。

1995年1月17日の阪神・淡路の大震災から16年。2011年3月11日の東日本大震災の間に被災者の心のケアの重要性は支援専門職において進展しましたが、それよりも市民の間での理解がすすんだことの意義がとても大きいのです。それは被災者の心のケアの重要性に留まらず、支援する側に二次的被害ともいえる現象が起こることまでが理解されたことによって広がりがえられたのだと思います。

心のケアの対象は、被害者と支援者の両者に対して行われることが必要だと認識されました。相補性ともつながる話なのです。

被災者支援計画には支援者ケアが必要であること、つまり日常の傷つき体験をケアする人にも同じようにケアが必要であること、つまり専門であったとしても一方的なケアをし続けるときにはストレスがかかる。ときに支援者も無傷ではいられないことがあるということなのです。

ひとりの人の力には限界がある。かかわりの糸口がたくさんあったとしてもケアする側がケアすることから受けるストレスや疲弊感、無力感に取り込まれないようにしていくためにはケア者同士の相補的なかかわり、何ごとも隠さずに報告し合うこと、解決できない出来事がありうること、辛くても耐えるしかないことなどが他者ケアの手法として明確になったことはケアする人たちにとってもとても大事な一歩だといえるでしょう。

この気づきのもとになっているのがトラウマケアです。我が国に対して心的外傷後ストレス障害(PTSD)の研究成果の紹介がとてもていねいに行われたことだと思います。今日ではPTSDはメディアだけではなくて日常語といってよいほどの普及をしているのはそのおかげです。中井久夫先生や小西聖子先生によって、米国の精神科医、ジュディス・ハーマンの研究である「心的外傷と回復」(みすず書房刊)が翻訳、紹介されたことはわが国の精神医学関係者のみならず教育や行政担当者にも大きな影響を与えました。

精神科医療全般ということですと、ちくま学芸文庫の全5巻『中井久夫コレクション』が手に取りやすいでしょう。これは中井久夫先生の業績の全貌の要約を伝えています。

特に「「つながり」の精神病理」、「「伝える」ことと「伝わる」こと」などは、人と人が接することから起こるさまざまな出来事にどのように向き合うのか、傷ついた心はどのように癒されていくのかということの大切さを再認識させてくれます。また、そのかかわりを通して、自分の行動を理解するための基礎的な知識と姿勢について考えさせてくれます。

どのような病気にも共通していることなのですが、心に関する困りごとについては、特に身近な人たちの存在を抜きに語り合うことにはあまり意味がないのです。というのも、心の病は、本人だけで病気と立ち向かうことがとても困難であること、つまり病気であるという認識さえも持ちにくいということが生じる病なのです。

自分の気持ちがつかめない状態、自分の行動がコントロールできないということは他者からの助言や働きかけも当然に受けられないわけです。この二重の葛藤が生じたときに身近な人はどのようにかかわっていけばいいのでしょうか。

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