震災後の現場から ~精神看護の立場からのメッセージ~

末安民生 先生

東日本大震災後、今なお様々な困難に直面している方々が数多くおられます。解決が遅れる生活基盤、経済基盤の問題に加えて震災で受けた心の傷で精神的にも多くの問題を抱えている方もおられます。今回は、心の専門家から今だからこそ伝えたいメッセージをお送りします。

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学医療学部看護学科 教授
末安民生 先生

第八章 支援者が抱えるストレス

■ 前回までのお話

仕事というものにはどのようなものであっても時には、自分の気持ちを沈ませたり、やる気を削いでしまうような多少のリスクは伴うものです。ですが、たいていの人は身の丈にあった仕事をしたいと願っています。しかし、仕事は、業務の採算性や効率性がまず優先します。その結果、本来は複数配置で対処しなくてはならない業務を単独で行うことがあります。また、複数で対処が行われなくてはならなくなるような事態が起きたときには、適切なバックアップが得られるようなシステムが必ずしもなくて、避けられるはずなのに避けられずに対応した職員に過重な負担がかかってしまう場合があります。

特に対人的なサービスを業務とする人たちは、そのリスクが高いのですから、本人たち以上に上司や管理者が過大な成果の要請や不適応を起こさざるを得ないような任務を与えないことや問題が発生した時の対処を二重、三重に準備しておくことが重要なのです、と鉄道会社の暴力事件などを例にしながら説明をしました。

そのような配慮が必要なのは、鉄道や病院のように昼夜を問わず、平日休日の区別なく業務が行われている公共的サービスだけではありません。一見、単純作業のようであっても、顧客の要求に対応しなくてはならないことの多いスーパーのレジやレストランのウエイターのような業務であっても同じです。さまざまな顧客からの予期せぬ要求に対する緊張や疲労へのサポートが必要な人々が増加する一方です。サービス産業の時代のリスクというよりも弊害といった方がよいのではないかと思います。

■ なにが変わったのか

工業製品を作る人と、農作業に従事する人は同僚に人はいるが手を出す相手は人ではないです。たとえばレジ係の人はお金の支払いに従事して扱っているのは現金ですけども、そのやり取り、手を出す相手は人です。業務の対象がモノとか生物、現金という性質だけの違いだけが問われるのではないのです。モノであれば工程に、動植物であれば自然環境に細心の注意はあるものの、人の感情に直接的に影響を及ぼすものではありません。モノ、生物それ自体は人間に要求はしない。モノも生物も情報発信をするけども意識をもって要求はしないということです。現金自体は言葉を語らないがその所有者が語るわけです。

現金の所有者が現金を通して要求をします。サービス産業の分野は、顧客である人が要求や欲求を示し、労働者側はそれに応じることによって対価が支払われます。支払いがスムースに行くように満足のいくサービスを提供する。笑顔で説明することを忘れず、時に顧客満足のマニュアルに従って美辞麗句によって、気持ち良く支払いをさせることができるように顧客の感情がコントロールされるように労働者も感情をコントロールしているのです。

以前にもふれたと思いますがサービス産業の労働内容の重要な構成要素が感情であることはご承知の通りです。そのような業務の手段としての感情は、強い弱いがとてもはっきりと現れる分野だともいわれます。今のはやり言葉では「メンタル面の強い人」などの言い方でしょうか。単にタフというのとは使い分けられていると思います。感情表出力の強さとでも言ったらいいのでしょうか。感情のコントロールがマニュアルのあるなしにかかわらず一定の安定感のある人。

しかし、そこでいわれる「強い感情」がそもそも顧客管理のための見えにくいコントロール下に置かれていることはしばしば指摘されています。「自然な笑顔」が作れる人、「本物の笑顔」が持ち味の人なんて、本来は業務上のことなのですからそもそも不自然なのですし、作り物なんですけども。このような人たちは、接客業では人物評価の高ランクに位置されます。これを維持するための疲労たるや大変なものなのでしょう。日本中いたるところにマッサージ屋さんが成り立っているのもサービス産業の人達のこわばった笑顔をほぐすためにあるのかもしれません。私は部下に教えてもらうまで知りませんでしたが、今では、リラクゼーションサロンともいうそうですね。肩こりや腰痛など緩和目的だけではなくてリラクゼーションサロンではアロマなども使ってリラックスできるようなことも商品の1つになっているそうです。これらはリラックスを通した感情コントロールにつながっているとかんがえられます。

「感情表出が規定された労働」、これは社会学において感情労働として一つの分野として位置づけられているだけではなくて、新しい産業も生んでいる、つまり社会の構造にしっかりと組み込まれているような状況になっているのです。感情労働者のための感情労働が提供されているんです。

■ 支援者の感情

支援者もまさにこの感情労働者なのです。痛みや不安、絶望や渇望に苦しむ人々に、看護や援助を提供する。顧客でもある患者や福祉サービスの受け手の人達の感情を「適切に管理する」ことによって、患者の感情を安定した状態に保てるようにしていくことが職務の役割なのです。しかも、それは仕事を離れた場所であってもなのです。

以前に、障害者の方々と海外旅行する機会がありました。私ども団体には精神科の看護師が10人以上同行していました。飛行し始めて数時間後に後部座席が騒がしくなって私ども団体の方々が声を上げているのかと思いましたら、これは全く別な外国人の方が不安定になられているようでした。一緒にいる方に聞きますと、その方々も随行しているだけで、詳しいことは分からないようなのです。

私どもが障害者の方に同行していることはキャビンアテンダントの方々は知っておられたので相談をしてお手伝いをすることになりました。座席後部のトイレ付近をクローズドにしてもらって、ありったけの毛布と枕で速成ベッドを作り、私どもが添い寝をするような形でその方にリラックスしていただくことにしました。幸い医師もおりましたので、これ以上の混乱は起きないだろうと予測することができました。言葉が通じないことを除いては困ることもなく、だんだんに声を上げることも少なくなって、やがては寝息を立て始めましたのでホッとしました。

この出来事の後で帰国すると航空会社からお礼の手紙とお礼のギフトカードが同封されていました。その手紙には「私どものスタッフは、あらゆる事態に備えて訓練をしているのだけども、さすがにプロにはかなわない。看護師としていつどんな時でも臨機応変に対応できるのを見て、スタッフも感銘した。今後さらに訓練を重ねていきたい」というようなことが記載されていました。

いつ、どこでも、どんなときにも臨機応変に対応できる能力の評価をいただけたことは素直にうれしかったのですが、私ども、というか、少なくとも私は、常に自分が能動的に動いているというよりも機内の安定や、私どもの同行者がそれを見て聞いて新たな不安を持たれないか、そのことを心配していました。自分は眠れなくなっても仕方がないが同行者の安眠が優先されていたのです。この時の役割上は当然なのですが、本来は機内の担当者にお任せするのも一つの選択肢だったと思います。といっても今思えばということなので、やはり私の行動も広い意味での職業的な感情コントロール下に置かれていたといわざるを得ないでしょう。

私はこのようなことからも、支援者という職業は、肉体労働であり頭脳労働でもある。そしてそれらの労働の基盤には、感情労働があると実感します。困った人を放っておけないし、放っておかない。したがって、いつ、どんなときにも患者の痛みや不安を軽減しなくてはならないかもしれないので、支援者である自分が動揺しないような反復的な訓練をされている職業なんです。職業人として自己の感情管理が上手な支援者は、評価も高くなる。このことは感情の管理を仕事にする人に対してのご褒美であり、無償の行為であったとしても賛辞という「目に見えない報酬」が得られることには違いないのです。

■ 誰でもが支援者になる

ところが支援者の感情管理というのは何も専門職だけのことなのではないという驚くべきことがわかってきています。

5月20日、読売新聞の朝刊に興味深い記事が掲載されました。6段抜きの大きな記事です。その記事の大見出しは、「救命体験 心に負担 生死に関わり 不眠や興奮」という気になる言葉です。京都総局発ですので、全国版ではないかもしれないので少し記事を追ってみましょう。

「目の前で倒れた人に心臓マッサージを行うなど、一般市民が、心肺停止患者の救命にあたるケースが年々増えている。自動体外式除細動器(AED)の普及などが背景にある。一方で、救命にかかわった一般人がその後、不眠や興奮状態に悩まされる傾向にあることが、愛知県小牧市消防本部と愛知医科大などの調査で判明した。心の負担についてのデータはこれまでほとんどなかったが、ストレスを感じた場合の相談体制が必要だとする声がある。」というリード文の後に、さらに記事は続きます。

「市民ケア 求める声」

同市消防本部の救急士らが、市内で2008~11年に救命を成功させた男女25人に、その後の精神状態を聞き取った。災害などではなく、いずれも近くにいた人が倒れるなどのケースだった。

答えを分類した結果、16人が何らかの悩みを抱えていた。うち、11人は、日中に興奮状態になって仕事に手が着かず、夜も眠れなかったなどと回答。救命の場面を何度も思い出した人が10人いた。

調査グループによると、死の迫った人に向き合って命を救うという、日常にはない経験が原因らしい。多くは「1か月以内に気持ちが落ち着いた」としたが、聞き取りの際に、泣きながら話した人が2人いた。(記事の紹介終わり)というものなのです。この後には救命の実例の紹介と災害や事故が起きた際の専門医のコメントが続きます。

自然な行為としての救命をおこなったのは偶然なのにもかかわらず、その時の衝撃の大きさが自分の感情を不安定にする可能性がある。人助けのリスク、こうした感情の動きは自然に湧き出るものであり誰に命令されたものでも義務でもないはずなのになぜに苦しむことになってしまうのでしょうか。

人間にとって死や疾患の痛みや苦しみは、身体的なものか精神的なものかにかかわらず、誰でもが避けたいのが自然です。本能的にその場から逃げだしたいものです。そこに立ち向かっていくことの勇気は誰でもが認めてくれることなのです。だとしたら、その時に感じた本当は逃げたかった気持ちや、恐ろしい思いを持ったことを話せそうな人に話しましょう。話したくなった時でいいんです。それが自分の中にあるちょっと無理してでも人を助けたいという自然な気持ちに支援してあげることだし、自分の中にある支援したいという感情を大切にしてあげることにつながることになるでしょう。どのような危険からも身を守ること。まず自分を助ける方法を身に着けたいものです。

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