震災から1年が過ぎて ~精神看護の立場からのメッセージ~

末安民生 先生

東日本大震災から1年。メディアからは「がんばろう日本」「支えあう,つながる」「絆」など、被災地だけではない一体感を伝えるメッセージが継続的に発信されています。それでも、震災で心に傷を受けた多くの人は、今もなお様々な困難に直面しながら、日々の中で経済基盤だけでなく精神的にも問題を抱え続けているのが現状です。今回は、心の専門家から震災後1年を迎える今だからこそ伝えたいメッセージをお送りします。

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学医療学部看護学科 教授
末安民生 先生

第六章 医療現場から—医療の場での暴力 その2—

■ 前回までの話─公共の場所での暴力事件─

人の暮らしの場で加害として起こる暴力事件には様々な要素があるのですが、とりわけ医療の場や鉄道などの公共の場で看護師や駅職員に対して起こる暴力事件について考えてみました。

医療の場でいえば、病気に対する不安が死という避けられない現実の問題として個人に突きつけられることによって、不安から混乱、さらに恐怖につながっているのだろうということは想像できます。その結果、不安や恐怖に駆られて精神的な安定が制御できなくなり、強い葛藤が理性に揺さぶり、相手を選ばない怒り=攻撃性=暴力と転嫁していくだろうことは説明できます。もちろん容認することはできないという前提ですが。

問題は、なぜ混乱や不安が暴力という攻撃的な行動になるのか、ということです。しかも看護師や駅職員という人に接する職業の人々、ヒューマンサービスと呼ばれる業務に従事している人に向けられるのか、ということです。駅職員の場合においては、電車の遅延に対する説明が足りないとか不親切だという場合にも起きているのですが、メディアに公開されている防犯カメラ映像などの記録によれば、全く脈絡のない通りすがりの突発的に見える暴力もあるようです。個人的、あるいは何らのかかわりのない状況下での暴力。なぜ、突発的に見えるような第三者への攻撃性が生じるのでしょうか。

■ 不安と攻撃性

攻撃的行動の根底には心理的な混乱や不安が存在すると考えられています。不安は漠然としたものととらえられることが多いです。漠然としているにもかかわらず人の行動の自由を奪い、時には自分を死に追い込むこともできるくらいの強いエネルギーをも有する厄介なものなのです。

一方、攻撃性は誰もが持ち合わせている人の成長には不可欠な生きる力でもあります。「物事を噛み砕く」という言葉に表されるように深く理解するのには強い生きる力が必要です。「芸術は爆発だ」の言葉を引くまでもなく、創造性やスポーツ、たとえば登山でも「あの山を征服する」という表現があるように健康な攻撃性は人の意思や活動の士気を高める重要な要素です。暴力ではなく言語やスポーツ、芸術を介しての対人関係的表現、活動によって健康な攻撃性が再生産されることが健康な社会関係といえるでしょう。しかし、これは攻撃性を理想的積極的にとらえた場合なのです。

■ 攻撃性の現実

不安はその人の人となりを失わせ生活感覚の安定性を奪います。しかも時として制御できないような強いエネルギーが攻撃性として表出したり、爆発するわけです。不安な状態というのは誰でもが経験していることですがそれが攻撃性を超えて暴力となることは思春期を除いてはそんなにはないのではないかと思われる方もあるでしょう。

しかし、人の不安や怒りが人の自律性や正義の判断を奪う極端な例はいくらでもあります。戦争状況下の平穏な生活を送っていた「善人」が、地域社会の情勢や周囲の人々の言説などによって一夜にして変貌する姿は、歴史的に証明されているとおりです。

戦争は例外中の例外で異常な事態だ、と例外的に思われ方もあるかもしれません。ですがそのようなとらえ方は、島国である我が国の地理的状況からの発想だと思います。絶えず国境線が変化し主権を脅かされている国々にとっては戦争でなくても緊迫の状況、不安な状況はとても日常的なのです。攻撃性の発生とは単に個人の資質の問題を超えた、個人と社会の関係性という複雑な背景を持っているのです。

■ 人間関係と葛藤

職場や学校で朝のあいさつをしても相手が何の反応も返してくれない時にあなたはどのように感じ、そのあとの振る舞いをしますか。もしかすると自分の声が相手に届いていないのか、あるいは自分とは目があったのだけどもちょうど何か考えごとをしているのかと自分の側の問題に引き取ろうとする。このような考え方の方は、例えれば自分に非がある、つまり自罰的にとらえるタイプの方ですね。

逆に自分の方が先にあいさつをしたのに返礼をしないとは社会性のない人だ、とか、先にあいさつしたのに無視するなんて失礼な奴だ、と腹を立てるのは他罰的なタイプの方といってよいでしょう。どちらのタイプの方であってもだいたいここまではみなさんもうまく使い分けて、気にしないようにしているのではないでしょうか。

もちろんこのような二分法的な分類だけではなくて、そのほかにも多少の反応はなくてもマイペースでめげずにあいさつを繰り返すような行き当たりばったりタイプとか、内罰、他罰タイプがもとにありつつも、なんで反応しないのかなと反応の道筋を考えてしまう考え込みタイプもおられるでしょう。

ここで問いたいのは「あいさつ」のような日常の些細なできごとであっても人はある反応をしつつ生きているということです。その反応は次のあなたの行動の基になっていて、しかもそれだけにはとどまらずあなたが対応する人達、先ほどのあいさつをした人ではない人たちにあなたの行動がなんらかの影響を与えるかもしれない、ということを意味しています。

多くの人が、朝のニュース番組で天候や運勢を知りたがるのは、雨具の準備や運勢を知るためだけではなくて自分でも意図せず、一日を自分のペースで生きていけるかどうかどこかで何か手がかりを探すという意味が込められていると考えることができるのです。

一日を自分のペースで生きていきたいというのは自然なことなのにそれを阻んでしまう可能性がある。そのひとつはあいさつのことにも関係している人間関係ですね。人の社会は上下関係によって成り立っている。そのようなことを意識しないで学生生活や仕事をしている人もいなくはないですが、それはよほど自分に自信があるか、よくいえば関係に縛られない自由さがあり、悪くいえば人間関係に鈍感なのでしょう。相手の考え方や仕事の方法を制約したり管理しなくてはならない時には、相手の納得できるような説明が必要ですけどもそれが必ずしも行われているとは限りません。しかも自分の上司が自分よりもかなりの年下の人だとしたら。
人間関係の葛藤はあらゆる場面にあるのです。

■ 個人の領域には立ち入らない

相手の領分にはむやみに立ち入らない。これが人間関係の基本であることは誰でもが知っています。自己と他者、たとえ家族であってもお互いの「聖域」は守ることが双方の理解に不可欠だし、信頼の基礎となることです。ところが自分の領域に入り込まれてしまった時には、人は防御反応を起こします。また、入ってほしくない人だとわかっているのに無理やりに、時には悪意を持って他者への介入、侵襲してしまう人がいます。私たちはそのようなときにはどのような対応をしたらよいのでしょうか。

次回のテーマは、「医療現場から(その3)」です。

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