震災から1年が過ぎて ~精神看護の立場からのメッセージ~

末安民生 先生

東日本大震災から1年。メディアからは「がんばろう日本」「支えあう,つながる」「絆」など、被災地だけではない一体感を伝えるメッセージが継続的に発信されています。それでも、震災で心に傷を受けた多くの人は、今もなお様々な困難に直面しながら、日々の中で経済基盤だけでなく精神的にも問題を抱え続けているのが現状です。今回は、心の専門家から震災後1年を迎える今だからこそ伝えたいメッセージをお送りします。

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学医療学部看護学科 教授
末安民生 先生

第五章 医療現場から—医療の場での暴力 その1—

■ 臨床現場の現状

現在、患者さんとその家族からの医療への期待は、ますます強まっています。
というのも充実しつつあるといわれる救命救急医療やがん医療においても大都市では得られる安心があるものの地域格差は残されたままであることや、難病の方々への生活支援が障害者総合支援法の成立で決まったものの、治療への支援、医療費の負担軽減などは積み残されているのが現状だからです。

医療の充実に関しては一般論というものはありません。自らの健康を維持したいという意思が社会的関心と直結しているので、自分や家族の健康という関心は常に社会全体のテーマになります。と同時に関心の高いテーマでありながら医療施設側の提供できる資源には限界があり、その支援をするべき政府の政策対応への動きが鈍いと、解決が得られないことに人々の感情は漠然とした不安として残されています。

さらにマスメディアなどによって受診先の病院が得られず病院をたらいまわしになった結果、残念ながら死亡する事件などが報道されると他人ごとではないと思われる方々も少なくないと思います。私ども看護師もそれぞれの臨床において、自らが所属する施設が多くの患者さんの期待に応えられるように考えて行動していますが、このような社会資源としての医療という国家政策の限界には対処できるわけはありません。

この他にもよりよい医療提供を促進するには医療従事者の努力だけでは解決できない事柄はあまりに多いのです。例えば医療従事者の労働条件ですが、これは病院の予算の原資となる診療報酬点数や薬価、疾病ごとの患者数の推移など複雑な要素が雇用条件に反映します。医療機関にとっては患者さんが多数受診してくれれば当然収入が増加するのですが、一定程度の収入を確保できるのは、地域における他の医療機関との競合や専門診療の地域連携や分担、専門医の確保などが適切に調整されていることが前提になってきます。うまくいかないと病院倒産さえ起きるわけです。

東日本大震災後の地域再建の課題の1つでもありますが、もともと「医療過疎」とされていた地域にとっては、競合や専門科の分担などより以前に、医療機関数の絶対的な不足こその解決が望まれているのはいうまでもありません。
しかも個々の医療機関の受診の状況は、病院に対する医療評価でもあり、病院の経営も不安な状況があるわけです。
病院があると医療は必ず求めるように提供されるということはないのです。言い換えれば医療は公的な責任であり、常に安心できる社会資源として確保されているということはないのです。

医療を社会システムとしてみた場合には、欧米のように完全に国家的なコントロールから外れて文字通り自由診療として個人保険に加入できるかできないかによって健康が維持できるかどうかが決まってしまう。つまり経済力がない人は、常に生命が脅かされるという不安を日々感じながら暮らしている人が多いというあり方も社会システムの1つです。逆に医療提供は基本的に公務として統制提供され医療計画であると同時に国家計画として進められている場合など実にさまざまで、その良し悪し一概に結論付けられないその国の建国からの歴史をさえ背負っているのです。

■ 臨床の困りごと

どのような背景をもった医療機関であっても、一歩病院に入ればそこは痛みや不安を抱えた患者さんと医療者が対峙する場所です。患者さんにとっては「生命」と「尊厳」という人として最も大切なものを守られることを期待してその場に立たれるわけです。当然医療従事者は医療職であろうとなかろうと全力で痛みと不安の軽減に努めることが責務です。ところがこの医療従事者の責務への熱意を冷まし意欲の低下とともに患者と接することの不安を持たせるできごとが起きています。それは患者と家族からの暴力です。

■ 患者と家族からの暴力

患者さんからの暴力と聞くと、すぐに思い浮かぶのは、精神疾患や高齢者の周辺症状や手術後などにも起きることのあるせん妄の患者さんの存在でしょう。患者さん自身には悪意はなく、周辺状況が理解できない反応的なことで生じる本人の責任によらないものもあります。

しかし、ここでいう患者や家族からの暴力とは、「加害者」には悪意があり、自己の内部の混乱や不安の調整ができない自己コントロールができない人の行動が目立つのです。身体的な暴力はおこなわないものの過剰な言語的な暴力によって身体的には侵襲していないことを盾にして過度な攻撃性を持つ場合もあります。どちらにせよ看護師はもっとも患者さんと家族に接する機会が多く、暴力の対象になりやすいのです。

しかも突然に前後の脈絡なく行われる暴力にはとまどいだけではなく医療従事者を大きく傷つけ退職せざるを得なくなる場合さえあります。理由のわからない暴力ほど人を強い不安に追い込んでしまうからです。

しかも、加害者本人には理由はわかっていることが多いと推測されるのです。自分のような身分の者がなぜ待たされなくてはいけないのか、医者の説明が不親切だ(という場合も確かにありますが暴力を振るわれる理由にはなりません)、看護師が誠意をもって接しない(これも前のかっこに同様です)家族が死んだら困るのは残された自分だから死なないようにしろ、などなど際限がありません。

お気づきの方もあると思いますが、現在、病院の外来には、「患者さん・ご家族へのお願い」という張り紙の中に医療への協力依頼として、外来受診時には病院の指示に従っていただきたいとのお願いの言葉とともに、病院内で大声をだしたり、医療者に対して威嚇するような行為をしてはならないことが明記されるとともに、指示に従わない時には警察に通報すると書き添えてあります。

過去にも時に乱暴な患者さんや家族はいたのですが、張り紙文書にまでしなくてはならなくなったのはいったいなぜなのでしょうか。

■ 対人関係の職場のリスク

年度別 発生件数 日本民営鉄道協会2012年7月4日公表医療だけが対人的な暴力のリスクにさらされているわけではありません。例えば年末によく話題になる鉄道職員の乗客から受ける暴力です。

今では発生時の対応や防止対策等も行われ、職員も毅然とした対応をするために暴力対策に組織的に取り組むために警備員の巡回は珍しいものではなくなりました。

しかし、日本民営鉄道協会の平成23年度(平成23年4月~24年3月)に発生した駅員や乗務員への暴力行為の件数は911件であり、平成22年の868件を上回りました。さまざまな対処を上回る暴力事件が発生しているのはどうしてなのでしょうか。

■ 暴力の多様性

暴力は,身体的暴力と精神的暴力があるのですが、いやがらせからいじめ、威嚇やおどし、セクシャルハラスメントまで実に多様です。国際看護師協会(ICN)はさきほど触れました労働条件も看護師を危険にさらすことから暴力の範囲に入れています。

2002年、国際看護師協会は国際労働機関や世界保健機関とも連携して「保健部門の職場内暴力対策枠組みガイドライン」を公表しているほどなのです。つまり医療現場で発生している暴力は世界的な問題であり、すでに10年も前から大きな問題となっているのです。しかもこの問題が厄介なのは、鉄道職員の場合と同じように減少の傾向が感じられないことなのです。

世界全体にあるさまざまな不安が医療の場や鉄道での暴力を増加させていることはいうまでもないことなのでしょう。しかし、医療の臨床での問題は少し事態が複雑です。

■ 医療の場での暴力

病気に対する不安は治療によって本当に解決できるのかどうかという現実の問題を個人に突き付けます。受診までの時間に何が起こっていたのか、家族みんなが心配してくれているのか、仕事を中断しなくてはならないことになったらどうするかなどの不安は、原因がわからないことへのいらだちへと変化していくことは想像がつきます。それまでの安定が失われるということは人の自律性や判断を奪う可能性があるのです。その不安と混乱は抑えられない怒りとなって暴発してしまうこともあるのです。暴力の背景には個人の経験や性格という複雑な背景を持っているのです。

次回のテーマは、「医療現場から(その2)」です。

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