震災後の現場から ~精神看護の立場からのメッセージ~

末安民生 先生

東日本大震災後、今なお様々な困難に直面している方々が数多くおられます。解決が遅れる生活基盤、経済基盤の問題に加えて震災で受けた心の傷で精神的にも多くの問題を抱えている方もおられます。今回は、心の専門家から今だからこそ伝えたいメッセージをお送りします。

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学医療学部看護学科 教授
末安民生 先生

第十章 これからの3年、5年、10年 どのように心を考えたらよいか

東日本大震災から2年半が経過しました。時計の針は確かに前に進んでいる。あの日から2歳と6ヵ月、被災地の人々も、そこから遠く離れた土地の人々も、誰もが平等に歳を重ねています。私の知りえる範囲に限定してのことですが、まだ被災地の多くは荒涼とした状態なのだと思います。被災地の人々の暮らしをお聞きすると、ずいぶんと酷な時間を過ごさせてしまっていて申し訳ないという気持ちになったり、そのようななかにあってよく生き延びてくださったという気持ちになります。

2年6ヵ月。震災から時間も距離も遠く離れた場所にいて、時折、訪れる被災地の人々とのかかわりを通して感じたことを最後にまとめてみたいと思います。

被災した土地から離れずに暮らしている人、留まる気持ちになれずにその土地を離れている人、自分の土地と建物に留まることが保留されたり禁止されている人たちと、これから重ねる月日をどのように生きていけばよいのでしょうか。まずは生き延びること、そのために知っておいていただきたいことを考えてみたいと思います。

遠く離れた場所にいて

東日本大震災は、近年の災害では最も広範囲(北海道から高知県、警視庁調べ)にその被害をもたらした災害です。

しかし、このような大規模自然災害は、直接的に目に見ることができる被害が及んでいない土地に暮らす人々へも実にさまざまな心理的な影響を起こしているのです。これは特別に共感性が高い人だから感じる、というものではなく、有形無形の記憶としてときにこころを揺さぶることがあるのです。

私は、3月11日のその時間、大阪の高層ビルのエレベーターの中にいて、緊急停止したエレベーターが近接階に止まり異変を知りました。初めて訪れた場所で余震を感じながら目的の階まで歩き、その後しばらくの間は、座った部屋の額の絵が左右に揺れるのを見て同席した人々と不規則な余震を感じながら時間が経過していくのを感じていました。ニュースも、まだ速報だけで被害の大きさも、激しい津波の報道や、その夜に直接の被災地ではない東京の帰宅困難者による大混乱状態もまったく予想できませんでした。ましてや東京電力の福島第一原子力発電所での炉心溶融という原子力事故の発生は想像できませんでした。しかも、我が国のマスメディアは国際原子力事象評価尺度(INES)におけるレベル7(深刻な事故)という最悪な状況の深刻さを一時的にしか報道せず、私は事実経過を外国の報道番組で情報を得ていました。事実の重大さとそれに関する情報の落差は驚愕でした。地震の連鎖がいったいどこまで広がり続けるのか、先行きが見えなくて時間をかけて戻った東京で、暗い気持ちになっていました。

急がないけど必要なこと

さまざまなできごとによって傷ついた感情は生活を不安定にさせます。平穏な毎日として取り戻していくのにショートカットできる近道はないと思います。

前回までの連載でも繰り返しふれてきたように、震災被災後の生活ということに限らず、人が傷つくできごとは生活全般の時間の中では思い出さないでいようとしても、胸の奥では苦しかったり諦めきれないできごととして静かだけども波のうねりのように存在しています。そのうねりは人の行動に影を落としたり、時に五感の機能の一部に侵入してきていつもの生活ペースを乱すことがあります。時折、聞かれる言葉としてフラッシュバックという身体感覚の乱調ですね。心配し合う人同士がともに被災者であるような関係であれば、お互いを困らせないような気づかいの気持ちもはたらいて、生活感覚が鈍くなったり、喜怒哀楽が感じにくくなるなど感覚の麻痺した状態に陥ることも少なくないのです。

被災した人だけではなくて、周囲の人や震災支援に出向くような役割の人でも同様です。急に無理して明るく振る舞おうとしていたり、逆に他人を避けるようになったり、どうしてかはわからないが急に気持ちが静まっていくような雰囲気になったときは要注意です。

失われたのは生活基盤だけではなくて、その人の生きてきた土地と時間にまつわるすべてのできごとであり、他者からは意味合いをはかりきれない小さくて見えにくいもののこともあるからなのです。いくら時間が経過しても被災地にその時間に居合わせたということそれ自体は消えない。この感覚を変化させていくことはいくら願っても残念ながらスイッチを切るようには切り替えられないのです。だから無理して体験を忘れようとしたり、無視したりしないほうがよいです。ほどよくつきあいができるようになるまでの時間を稼がないといけないんです。

きれいな夕日をみたり、美味しいものを食べたり懐かしい人の話をする。でもこれは強制されたらだめなんです。したくなったらする。自分で選びながら、うっすらと変化が訪れるのを待つしかないと思います。気がついたらなんだが毎日のできごとに自信がついてきたと思えたらよいのですが。それまでは同じ境遇を分かち合える人との会話や時間を共にすることもよいかもしれないです。気兼ねなく声に出して泣き、笑い、時には怒りを解き放てることが大事なんですね。自分の言葉で語りだせるそのときを待ちましょう。仕事や勉強だけではなくて、少し忘れてしまっていたなにか自分の生活の軸になるものを立ててもよいかもしれません。

自分に役立つこと

先月、盛岡駅近接の書店に立ち寄った時に3.11コーナーの図書がさらに増えていることに改めて驚きをもちながらその事実を確認しました。おそらくは全国的には配本されていないだろうと思われる本が目に留まりました。東日本に所在地をもつ出版社で、流通も特定地域を重視した展開を考えてのタイトルが気に入りました。

比較的早くに出版された大手地図出版社の被災と復興の大判の地図は、もともとは被災地の人々の日常生活の回復を願って作られたのだと思います。が、同時に今でも私どものような活動を続ける人の文字通りに「暗がりの森に分け入る光の地図」となって被災地を照らしています。今回見かけたのはタイトルや冒頭部分のあいさつなどに著者と特定の地域の人々や、特定の著者との共作だったり、できごとと時間の共有化を前提にした作品です。

なぜ、3.11を記したい気持ちになるのでしょうか。書きたいという意思、出版したいというこころの動きはどうして起こるのでしょうか。私はいくつかの作品から、著者たちの表現せずにはいられない穏やかなのだがとても確かな衝動を感じました。

私が感じとったのは、本文から醸し出されている自分を保つための五感のバランス感覚のようなものです。震災という思いもよらない強い力で一方の方向に思いきり振り切られた強い勢いからのダメージを癒し、バランスを取り戻すための作業が、物語という形になって現れているのではないでしょうか。いつまた揺れるかもしれない土地に暮らし、前を向くために必要な、今は失われたけども確かな時間。その軌跡を、記憶をたどりながら振り返る。生きてきた軸足の置き所を、また歩みだすために決め直している記録なのです。

つくり直すことはできます

被災した土地においてそれぞれの生きていく方向や方法は違っていても、前に向かって進む、ということだけをみると、一見単純そうにみえますよね。ですけども真っ直ぐに進むのには生活の軸足、時間の縦軸がいるんです。ただこれは力が蓄えられればよいということだけではなくて、切傷にかさぶたができるような血液などによるさまざまな回復の作用が複雑に、でも自然に行われるといいんです。傷口を元の皮膚の状態に戻すための役割をもった機能が、それぞれに働きだす。傷口がなかった時の過去の皮膚の体験から続くその感覚は自分が無理に思い出そうとしなくても大丈夫です。長い間つきあってきた身体機能はあなたのためにまたしっかりと働いてくれます。自分のカラダを信頼して任せておくとよいんだ、と信じれることが次への始まりなんです。知らず知らずのうちに縛られていた体験から離れて今の自分の大切にしたいことを始めましょう。ゆっくりでよいですので。

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